2015年07月25日

セミョーノフ加刷のカバー

SEMYONOV.jpgロシア内戦期にセミョーノフ軍支配下の東部シベリア・チタで使われたカバーです。ロシア紋章5K切手を台に5R、70K切手に10Rを加刷した、いわゆる「セミョーノフ加刷」切手2種が貼られています。米切手商のネットショップでGANとしては「清水の舞台」級のお値段を支払い、今日到着しました。

グリゴリー・M・セミョーノフはザバイカル地方のコサックを反革命軍に組織して活躍し、「アタマン」(頭領)の称号で呼ばれました。日本陸軍は干渉出兵で東部シベリアを勢力下に収めた場合、セミョーノフを指導者に擁立する腹づもりでした。「悪逆非道」と悪評高い彼に資金や武器援助を続けましたが、最終的には見捨てて撤退します。

ザバイカル地方は反革命勢力として最も有力だったオムスクのコルチャーク政権の領域内です。しかし、セミョーノフは事実上の軍事政権を中心地のチタに樹立してオムスク政権に反抗、自立状態でした。その支配地域内で1919(大正8)年後半から極東共和国軍によってチタを追われる1920年10月まで使われたのが、セミョーノフ加刷切手です。

CHITA.JPGこのカバーは計15ルーブルの切手が貼られ、不鮮明部分もありますが、「チタ局1920年7月14日」の消印で引き受けられています。スウェーデン赤十字チタ支部からドイツ赤十字チタ支部宛て(だろうと思います)の市内便です。

裏面封じ目には露・独バイリンガルで「スウェーデン赤十字」と表した紫色丸型印が押されています。GANが身の程もわきまえず入手を決意する最後のひと押しとなりました。この手の込んだハンコまで偽造はないだろうと考えたからです。

セミョーノフ切手についての文献は少なく、実逓カバーの報告はあまり聞きません。内戦期ロシア切手真偽判定の権威・セレサ博士Dr.R.Ceresaの『1917-1923年のロシア切手』(V.3,Parts 19-21 Addenda)にも、1919年11月と12月の2点のオンピース(共にGazimuruski Zavod局消し)が図示されているだけです。

内戦期シベリア郵便史の専門家イヴォ・ステイン博士Dr.Ivo Steijnの調査によると、セミョーノフ地域での郵便レートは1920年7月以降、封書25ルーブル、はがき10ルーブルとされます。このカバーの料金15ルーブルだと当てはまりません。でも、市内封書(TOWN POST LETTERS)料金と考えれば、内国料金としての25ルーブルより安くとも辻褄が合いそうです。

念のためイヴォ・ステイン博士に問い合わせたところ、「local letter rate(市内料金)として15ルーブルは妥当と思う」との返事をもらいました。彼によると、「セミョーノフ切手のカバーは、私自身は幸運にも25年前に1通入手できたが、真正カバーは半ダースほどしか知られていない」ということです。収友に当分自慢できそうなネタが出来ました。
posted by GANさん at 07:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア極東 | 更新情報をチェックする

2015年07月23日

赤紙軍事のプルーフ出現

PROOF.JPG愛称「赤紙軍事」の一種、「遼陽占領一週年招魂祭紀念」絵はがきです。東京・錦糸町で7月17日から開かれた全日本切手展初日のブース漁りで、同種の数点と共にゲットしました。

赤紙軍事は日露戦争の戦地・満州で、紅色地の逓信省発行軍事郵便はがきを使ってイベントの記念や現地の風俗・風景を印刷したものです。この絵PROOF-2.jpgはがきには明治38(1905)年9月4日、遼東兵站監部と、発行日、発行者名も印刷され、発行事情が分かります。

ですが、どこかおかしい。色がヘンなのです。本来、この記念絵はがきの刷色は黒なのに、これは緑です。さては新種か! 裏返してみると、台はがきは戦争の当の相手であるロシア帝国の官葉、内国用紋章3Kはがきではありませんか。

もちろん、この絵はがきをロシアが発行するわけはありません。遼東兵站監部は製作の際に、刷色を色々と変えてテストしたのでしょう。つまり、プルーフ(試刷)と考えられます。例えば遼陽や奉天のロシア局を占領し、そこで押収した多量のはがきを流用したのだと思います。プルーフの用紙が現に対峙中の敵国のはがきなんて、いかにも戦地ならではの話です。

それが破棄を免れて1世紀を超えた今日まで伝わったのは、当時の担当者が資料性を認めて大事に保存していたためでしょう。赤紙軍事のプルーフはこれまで未発表で、製作経過を考察する好資料と思います。手持ちの正式発行分(黒色)と比べて見ましたが、図案は細部に至るまで同一で、変更点はありませんでした。
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2015年07月21日

切手研究会の総会に出席

meeting.JPG7月19日午後、切手研究会の年次総会が耐震改装工事が終わった東京・浅草の産業会館内会議室で開かれ、GANも出席してきました。

切手研究会は1950年に三井高陽氏が創設した郵趣団体の老舗です。会員数は消長がありますが、お決まりの高齢化で実働約200人といったところ。毎年の全日本切手展に合わせて総会を開いています。今年は都内や周辺を中心に20人近くが参加しました(写真上)。

総会は秋吉誠二郎さんの司会で進められ、沢株正始さんが機関誌『切手研究』の編集状況と昭和時代の「コレクション逸品集」出版の新企画について、永井正保さんが今秋開催される三井記念美術館の特別展での三井コレクション展示についての発表がありました。GANも3年前に出版した『60周年記念論文集』をハードカバーの特装版として再発行する計画について報告しました。

NISHIMURA.JPG恒例の講演では西村壽一郎さんが「戦前の初日カバー」について話しました。版元が固定した継続的な初日カバー製作は、日本郵便切手会(JPSA)による1939(昭和14)年4月3日の厳島30銭切手が最初だそうです。実物が回覧されましたが、大ぶりの白封にゴム印銘押し(写真右)でした。

参加者からJPSAによる青色勅額切手分譲の話が出たことから、唯一の真正使用例とされる尾崎局の通話券について毎度の真贋論争が蒸し返されました。双方譲らず、初日カバーを脇に置いた「場外乱闘編」の方で大いに盛り上がりました。

いつもの総会ではセレモニーの後、簡単な酒食が出て懇親会に移るのが例でしたが、今回は公共施設という制約もあったのか、教室方式でお茶と和菓子の「清談」に終わりました。久し振りの収友の顔も多かったのですが、あいさつ程度で別れたのが残念でした。懇親会を「隠れた主役」とするような総会にした方がよいと思いました。
posted by GANさん at 12:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑観・雑評 | 更新情報をチェックする