2015年09月29日

船便送りの沖縄航空便

雁ノ巣.JPG部隊検閲印を持つことから軍人差し出しらしいというだけの、平凡な3銭楠公はがきです。ことし6月の「松本の大会」で百円均一の箱から拾い出したものです。最近になって、意外に貴重な資料かも知れないと気が付きました。

「松本の大会」とは、既に旧聞となってしまいましたが、6月13、14日にあった「切手大好き人の集い」のことです。松本郵趣会が主催して松本市郊外の美ヶ原温泉で開かれました。

GANも収友の田中寛さんとご一緒し、初めての特急「あずさ」に乗って行ってきました。各地から百数十人もが集まり、盛大で楽しい一夜を過ごしました。

児玉敏夫さんから貴重な情報を耳にしたのはこの春先、大門会の例会でのことでした。「リキさんが郵趣から引退するので、ほとんどの収集品を大会を開いてオークションで処分する」。

「リキさん」とは、郵趣界で知らぬ人もない藤野力さん。戦後の消印とエンタイア(今で言う郵便史)収集では、松本を大阪と並ぶ日本の一大中心地とした立役者です。GANはこれまで半世紀近くにわたり軍事や検閲などで大変お世話になってきました。確か今年あたり米寿のはずですが、ご高齢が進んで郵趣どころでなくなったのだそうです。

これは行かないという手はありません。(児玉さんは鉄郵印の専門家として知られていますが、実は松本の郵趣界の「大ボス」でもあったことが、今回現地に行って初めて分かりました)。申し込むと、簡単なオークションカタログも送られてきました。

「もしかしたら、ご本人にお目にかかれるかも」と、はかない期待も抱いて行ったのですが、結局、藤野さんは見えられませんでした。代わりにご子息夫妻が大会に参加され、藤野さんの近況報告を兼ねた挨拶をされていました。

期待のフロアオークションがまた、ものすごい熱気でした。GANが狙っていた数点は、いずれも関東の若いコレクターたちに、あれよと思う間もなく、かっさらわれてしまいました。結局、百均の段ボール箱から20数点を抜き出した程度で敗残の身ををかこった次第です。これらもまた、藤野さんの膨大な未整理コレクションの一部でした。

さて、このはがきですが、発信アドレスは「福岡県雁ノ巣航空局福岡支局気付イ131」と書かれています。引受機械印は「鹿児島局 昭和20年2月9日」です。当時の運輸通信省航空局は福岡県雁ノ巣飛行場構内に福岡支局を設けていました。「イ131」は海軍の部隊区別符で第27魚雷艇隊を意味します。

部隊は沖縄県運天港にあり、2カ月後の沖縄戦でのいわゆる「玉砕部隊」です。このアドレスは昭和19(1944)年10月の「海軍公報」で正式に指定されていました。福岡のアドレスを持つ沖縄の海軍部隊差し出しのはがきが鹿児島で引き受けられていたことになります。

沖縄方面根拠地隊など沖縄の海軍部隊の一部から県内の郵便局に差し出された郵便物は、海軍機で九州など本土に運ばれて到着地郵便局で引き受けられていたようです。南西諸島方面の制海権も危うくなった戦争末期、本土との郵便連絡を速達するためですが、これを規定した内部文書は未見です。

このような「軍用航空郵便」は、普通は各地航空隊や航空基地気付を肩書きとするアドレスが使われています。陸海軍の部隊ではなく運輸通信省という行政官庁を肩書きとしている点で、このはがきのアドレスはとてもユニークです。沖縄の那覇飛行場と雁ノ巣飛行場を結ぶ軍用定期航空の存在が示唆されます。

それにもかかわらず、福岡局でなく鹿児島局の消印があるのは、何らかの事情で航空機に搭載できず、船便で那覇から鹿児島に運ばれたのでしょう。太平洋戦争最末期の沖縄部隊の郵便逓送状況を具体的に物語るはがきだと思います。
posted by GANさん at 01:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 大戦前後混乱期 | 更新情報をチェックする