2015年10月31日

艦船アドレスに所在地表示

望月.jpg太平洋戦争中の海軍軍事郵便5通のロットを最近のネットオークションで入手しました。興味を持ったのは、発信アドレスが5通いずれも「横須賀局気付 駆逐艦望月 ウ105」となっていたからです。

1944(昭和19)年末に主力艦のアドレスが艦名から部隊区別符に置き換えられましたが、それ以前は艦船部隊が区別符を使うことはありませんでした。たとえば「横須賀局気付 駆逐艦望月」が普通です。艦船名に続けて更に区別符が入るのは「異常」とさえ言えます。GANの知る限り、このような例はありませんでした。

ごく例外的に艦船のアドレスに区別符が入る場合でも、それは常に艦船名の前で、所属部隊名を表していました。たとえば「大湊局気付 ウ206 第5海洋」などという具合です。この場合の「ウ206」は千島方面特別根拠地隊、「第5海洋」は根拠地隊所属の測量艦です。

今回のロットでは、区別符「ウ105」が艦名の前ではなく、すべて艦名の後に付いているところがクセモノです。これは所在地名か部隊名か。所在地区別符としてはラバウルしかありません。が、部隊区別符だったら43年3月までは第7軍用電信所、43年7月以降は南東方面艦隊軍法会議。発信時期を同定する必要もあります。

幸い通信文6点(封筒1通が失われている模様)が残り、日付が書かれていました。9月12日、9月29日、11月6日、11月11日、11月24日、12月8日で、年号はありません。封筒と便箋の用紙、筆記具、軍事郵便表示のゴム印や検閲の認印、通信文の内容などを検討したところ、これらは連続した3ヵ月間の通信と判断できました。

11月11日発信の通信文に「去る10月26日南太平洋海戦の戦果を知ったことと思います」の一節がありました。この海戦は42年のガダルカナル島奪回作戦で、「望月」も増援部隊として参加しています。また、「望月」は43年10月24日にラバウルのあるニューブリテン島周辺で米機に撃沈されました。これらから、この封書はすべて42(昭和17)年秋から初冬にかけてのものとして間違いないと思います。

「望月」の属する第30駆逐隊は42年7月、ミッドウェー敗戦後の艦隊編制臨時改正で第4艦隊(トラック)から新設の第8艦隊(ラバウル)へ2年半ぶりに転属しました。以後、「望月」はラバウル港を基地に、数次にわたるガダルカナル島奪回作戦に参加して船団護衛や輸送に大活躍していました。

他方、第7軍用電信所の所在地は不明ですが、本来陸上に開設されるべき電信所が3ヵ月にもわたって特定の駆逐艦上にあったとするのは不自然です。ここで、このロットの「ウ105」は部隊ではなく、所在地を表す区別符のラバウルと断定できます。

艦船名の後に所在地区別符を付けたアドレスは特異、あるいは異常です。発信者の誤記だとすると、3ヵ月間で6通も、しかも検閲でチェックされなかったとは考えにくい。部隊から正式に指定されたアドレス表記だったのでしょう。しかし、いずれにせよ艦船部隊のアドレスに所在地を表示するのは不合理です。

「以前にずっといたトラックに誤送される恐れがある、間違いなくラバウルに直送してほしい」と考えたからとしても「余計なお世話」なのです。交換局である横須賀局軍事郵便課が承知していれば済むことで、それが軍事郵便のシステムでした。防諜上も問題です。同様の例は他にあったとしても、ごく少ないだろうと思います。
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2015年10月28日

満洲国内地への軍事郵便

TSITSIKHAL.jpgこのカバーはかなり例外的な軍事郵便の取扱状況を示す一例として、なかなか面白いと思います。最近のネットオークションで入手しました。

軍事郵便は原理的には、前線と家郷とを連絡するため戦地である外国の一部に内国郵便網を伸ばして行う通信です。が、それ以外の軍事郵便ももちろんあり、戦地-戦地、つまり外国にある部隊間発着の軍事郵便もよく目にします。では、戦地-外国内の非戦地という無料軍事郵便はあり得るでしょうか。

軍事郵便法令は「条約(UPU条約がその代表)によって取り扱う郵便物は軍事郵便としない」と定めていました。日露戦争当時、前線の高級将校や外国観戦武官が野戦局経由で欧米に出した郵便がよく知られていますが、これらはすべて有料で、小判や菊切手で外郵料金が支払われています。

四平街3.jpgイギリスやフランスなどなら「完全な外国」なので、UPU条約が適用される、つまり無料軍事郵便とはならないことに問題はありません。しかし、中国や「満洲国」のような郵便法令上の「特殊な外国」との間ではどうでしょう。日本はこれら2国との間で郵便交換協定や条約を結び、内国並み料金を適用していたからです。

では、中国や満洲国に派遣された日本軍兵士が相手国内地に宛て無料軍事郵便を出すことはできたか。(この場合斉斉哈爾.jpgの「内地」は、日本在外局や野戦局の受持範囲から離れた、中国・満洲局の郵便区域を指す専門語です。)それとも、これも「条約により扱う郵便物」として有料なのでしょうか。

実は、これについての明確な規定は見当たりません。日本軍将兵が日本普通局のある都市や野戦局範囲内の部隊に宛て郵便を出すことはあっても、中国・満洲局しかない内地=奥地に宛てることはない、と考えられて富拉爾基.jpgいたからだと思います。確かに、どういう場合か考えると、かなりなレアケースです。

さて、このカバーを見てみましょう。裏面書き込みによると、満洲国斉斉哈爾(チチハル)に駐屯した騎兵第1旅団の司令部員が昭和8(1933)年5月8日に同じ黒竜江省内にある景星県公署の日系高級官僚に宛てています。引受局は四平街局第3分室(斉斉哈爾)です。役所宛てですが「公用」指定はなく、私用便です。

斉斉哈爾の野戦局(分室)は取扱いにさんざん迷ったようで、引受けて15日も経った5月23日になって地元の斉斉哈爾郵局に引き渡しています。さらに3日後の5月26日に北満鉄路(旧中東鉄道)沿線の富拉爾基(フラルキ)郵局が中継し、景星郵局で配達されたようです。

地図で見ると、斉斉哈爾-富拉爾基間は3-4キロ、富拉爾基-景星間は5-6キロといった距離でしょうか。確かに、景星周辺に日本系の局は影も形もありません。

このカバーに見る限り、日本野戦局と満洲国郵局との間で郵便交換が行われ、満洲国郵政が無料で逓送、配達しています。いったい、満洲国側に外国軍隊である日本軍の軍事郵便など引き受ける義務、根拠はあったのか。長くなり過ぎましたので、この考察は次の機会でしてみようと思います。

posted by GANさん at 01:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事郵便(陸軍) | 更新情報をチェックする