2016年02月29日

シベリア抑留者へ航空便

ソ連俘虜.jpg戦後10年間もシベリアに抑留され続けていた日本人俘虜に宛てたソ連製の俘虜専用往復はがきの返信部です。1955(昭和30)年12月1日に広島駅前局で引き受けられ、ソ連・ハバロフスク市に宛てられています。最近のネットオークションで入手しました。

俘虜が発受する郵便物はUPU条約によって日露戦争以来無料でした。このはがきに貼られている陽明門45円と前島1円、計46円の切手は航空料金です。条約には航空扱い料金の規定がないため、臨時的に設定された料金の使用例となりました。幸い、戦後日本は戦争放棄したので、シベリアのケース以外に航空俘虜郵便は存在しません。

当時の国際航空郵便料金は1953(昭和28)年7月1日に改正され、ソ連を含むヨーロッパと中南米など第4地帯宛てのはがき料金は60円でした。しかし、このはがきには46円しか貼られていず、料金表にも「46円」は存在しません。なぜ14円の差額があるのでしょうか。

実は、第4地帯の60円という料金は、はがき基本料金と航空増料金(付加料金)を一本化した「併合料金」でした。基本料いくら、増料金いくらといった内訳は示されていません。しかし、利用者にとっては両者を調べて足し算をする必要がなくて便利です。

ところが、俘虜郵便の基本料金を無料にしようとすると、「では基本料金はいくらか」という問題を解決しなければなりません。1951年12月に併合料金制が導入されたさいには、恐らく、「航空扱いの俘虜郵便はがき」などという厄介な料金設定が必要になるとは、まさに「想定外」だったことでしょう。

そこで郵政当局がとった便法は、船便料金を便宜的に基本料金とみなし、航空料金から船便料金を差し引いた額を航空増料金と想定することでした。当時の国際郵便のはがき料金は一律14円でした。これにより、60円-14円=46円が第4地帯宛て「航空俘虜郵便はがき料金」として算出されたのです。

これらの事実は、『続逓信事業史』第3巻「郵便」編の「ソ連抑留日本人との郵便」という節に記述されていました。GANは未調査ですが、郵政省は1952(昭和27)年9月4日に「郵国第1340号」という通達で全国の郵便局にこの「特別料金」による取扱いを指示しているようです。

この設定がされた1952年当時の航空郵便料金では、第4地帯宛てはがきは125円でした。125円-14円=111円という、「111円レート」の航空俘虜はがきも存在したはずです。10ヵ月という短期間のためか、こちらは未発表です。また、ソ連は往復はがき以外には俘虜郵便を認めなかったので、書状の航空俘虜郵便は存在しません。
posted by GANさん at 19:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 俘虜郵便 | 更新情報をチェックする

2016年02月25日

珍「検閲印」4種が出現

2月21日終了のヤフオクに、これまで知られていない4種の「非常に珍しい」検閲印の押された書状が一挙に7点も出品されました。1点を除くすべてに応札があり、珍品としてはお安い値段で落札されました。もちろん、すべてニセモノ。どこぞの中央銀行がやっているマイナス金利預金にも匹敵する、持つのも恥ずかしい「負のアイテム」です。

検閲済.png陸軍省.png情報局.png海軍省.png実はこれら「珍印」は昨2015年中に2、3度、計10点近くが別のセミプロ業者によってヤフオクに出品されたことがあります。しかし、今回のように菊、田沢、1次昭和切手が貼られ、明治・大正・昭和の3代にわたる4種・7点が怒濤のように現れたのは「壮観」で、大いに注目を集めました。

この珍「検閲印」は次の4種類です。

 1、枠付き「海軍省許可済第五六五号」(赤色)+錨マーク(黒色)
 2、枠付き「情報局検閲済」(赤色)
 3、枠付き「陸軍省検閲済」(赤色)
 4、枠なし「検閲済」(赤色)

これらが押された書状7通の要目を【下表】(クリックで鮮明な別画面が開きます)に整理してみました。表の下は代表的なカバー例です。

珍検閲印.jpg

海軍省・小坂.png情報局・左京.png陸軍省・上田.png検閲済・秋田.pngこれらは真正の書状に最近作った偽造検閲印を後押ししたものです。郵便史上でこのような検閲が行われた事実はありません。空中楼閣的な意味での偽造品としては、GANがつとに指摘してきた土屋理義氏のいわゆる「泰緬鉄道カバー」なるものが想起されます。スケールでは劣るものの、今回の検閲カバーはそれと同工異曲の存在と言えます。

この7通の「検閲カバー」を偽造と断定する根拠は10項目以上を指摘できます。その内で、だれでも分かりやすそうな点に絞って簡単に述べます。

 1、3種に共通の「検閲濟」の文字は、漢字フォントがサイズ以外はいずれも同一。
 2、各印の印色は、7点すべてが赤色にやや黄味を帯びた水性インクで同一。
 3、「海軍省」印は明治45(1912)年から昭和15(1940)年までの28年間、「情報局」印は大正10(1921)年から昭和16(1941)年までの20年間、全く同一の印顆が使われている。いずれも相応の経年感がなく、印材(ゴム)に劣化すら見られない。
 4、情報局は昭和15(1940)年に設立された政府機関で、大正期には存在しない。
 5、これ程の「珍印」4種・7点中の3種・4点が時期を超え2軒の家の到着便に集中している。

さらに、大所高所論的に言うなら、戦前といえども明治憲法によって「信書の自由」は保証されていました。戒厳令とか臨時郵便取締令などの特別な法令を適用しない限り、郵便物の検閲は違憲行為だったのです。GANが空中楼閣的な検閲カバーを偽造するのだったら(そんなことはしませんが)、そういった法律に基づいたように装うでしょう。

今回の偽造犯はコレクター数人をだますのには成功しました。しかし、合計売上額はそう伸びず、もしかしたら、製作コストさえ十分には回収できなかったのではないでしょうか。ニセカバーを作るにも、相応の郵便史の知識が必要なのですね。かの「泰緬鉄道カバー」も、郵便史や戦史上の矛盾に応えられず馬脚を現した一例です。これについては、いずれ詳述しましょう。

追記(2016.09.11) これらニセ検閲印の出所が分かりました。某SNSの画像投稿サイトにこれらの印影が6年前に投稿されていたのです。
pixiv.png偽造者がこの画像を版下にしてゴム印を作り、手近な封筒に見境なく押して「珍品」を作っていたと思われます。

「たまや」なるハンドルネームの投稿者によると、「お遊びで検閲関係印のハンコを作ろうとして毎日新聞社刊『不許可写真』からトレースして集めた」ということです。「お遊び」はもちろん個人の自由ですが、SNSへの投稿となると意味がまったく違います。

まるで当局検閲済み資料を「さあ、どうぞ偽造して」と不特定多数の人に勧めているに等しい。常識をわきまえないおバカな投稿者がいたものです。現にこのような偽造者が現れてヤフオクで多数が高価落札されています。偽造者はもちろん詐欺犯ですが、投稿者も詐欺幇助罪に問われてしかるべきでしょう。
posted by GANさん at 23:26| Comment(1) | TrackBack(0) | ニセモノ列伝 | 更新情報をチェックする