2016年07月27日

最初期の米軍検閲はがき

C.C.D.-1.jpgC.C.D.-2.jpg米軍検閲印、いわゆる「金魚鉢」の最初期使用例と思われるはがきを最近のネットオークションで入手しました。切手も消印もないスタンプレスで、恐らく料金別納郵便として差出された内の1枚が、引受けの際に別納印の押捺漏れになったのだと思います。

神奈川県小田原市から家族の死亡を知らせる印刷された訃報です。「昭和20年9月5日」とあることから発信日は1945年9月の5日以降、上旬と推定できます。宛先は朝鮮の京城ですが、この時期は関釜連絡船が途絶していて送達不能で、「差出人戻」となっています。

このはがきには下部にC.C.D.J-342の米軍検閲印が正置で、また上部にはC.C.D.-620が倒置で押されています。日、米の検閲員による二重検閲を受けたことが分かります。両印とも灰黒色で、まだ検閲日の書き込みはなされていません。

無条件降伏した日本を占領統治するため、連合国軍総司令官マッカーサーが厚木飛行場に降り立ったのが45年8月28日のことでした。そのわずか10日か2週間ほど後の9月上旬に、もう郵便検閲を実施していたとすれば、確かに最初期です。が、ことはそう簡単にいきません。

米軍がいつから郵便検閲を始めたか、直接示す資料はまだ知られていません。連合国軍総司令部(G.H.Q.)は日本政府に「覚書」を出して命令していました。45年10月1日付の覚書SCAPIN第AG311.7号によれば、「すべての郵便物は適当な範囲で検閲が必要であり、指示があれば郵便物を提出しなければならない」とされています。

日本政府はこれを受けて45年10月12日に閣令第43号を出し、日本の関係官吏に占領軍が実施する郵便、電信、電話の検閲への協力を義務づけました。これらから類推して、検閲は10月12日以降、そうでなくとも10月に入ってからだと考えるのが普通です。

ところが、これより早い9月中に、博多局に米軍検閲係官が突然現れ、ピストルを突きつけて郵便物を押収し、検閲所まで運ばせた、いわゆる「ピストル事件」が起きました。郵政省編『続逓信事業史資料拾遺第2集 野戦郵便局・通信情報取締等関係資料』に記述(P.75)されています。実際の検閲は9月に始まっていたことを示唆する事実です。

この事件なども考慮に入れると、小田原市で郵便物が9月上旬に検閲を受けた事実も「何かの間違い」とは言い切れなくなります。GANが分かることはここまでです。さらに資料を集め、郵便検閲の正確な開始時期を解明していきたいと思います。
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2016年07月26日

またニセ消印でバレバレ

赤坂.pngまたまた乃木将軍の「ご真筆」をうたった真っ赤なニセはがきがヤフオクに登場し、結構なお値段が付きました。出品者も応札者も、いつまでも懲りないように見えますが、実際は「やらせ」の「釣り上げ」ではないかとGANは疑っています。

7月23日に終了した「乃木希典直筆葉書」なるものが、62,000円で落札されました。文字そのものがいけませんが、GANがニセと断定できる根拠は、押されている赤坂局の消印があり得ない偽造印だからです。

本当に将軍が書いたものなら偽造印など面倒なものを作って押す必要などない。「ホンモノですよ」と赤坂局に「箔を着けて」もらうため、実際に使われたように見せかける必要があった、という理屈です。
aka.png
この消印は絵はがきに貼られた菊1.5銭切手を抹消するために押されています。「赤坂 42. 8. 5 前6-9」とあり、東京の赤坂局で明治42年8月5日午前6-9時の間に受け付けたことを表します。

これが、真正印とは活字のフォントがまったく違うのです。櫛歯の形や日付欄の横桁の太さなども変で、アヤシイ雰囲気が漂います。一見しただけで分かる典型的な偽造印です。

まず最大のバレバレは、局名「赤坂」のフォントが明朝体であることです。櫛型日付印の漢字フォントは原則ゴチック体で、明朝体の消印は日本内地にはありません。また、明治期の日本内地で「前6-9」という時間帯も存在しません。全国どの局も午前5時から始まるので、3時間刻みなら「前5-8」や「前8-11」しかないのです。

更に、郵便物を1日10回以上集配する局は必ず1時間刻みにすることが定められていました。恐らく当時15回前後の集配をしていたと考えられる東京市内の局である赤坂も当然、「前6-7」や「前8-9」でなければなりません。3時間刻みというのは、最も郵便物の少ない田舎の局で使われた消印です。今年1月29日の本ブログで「XY2型」という”珍印”のあるニセモノをご紹介しましたが、それと同工異曲の代物です。

蛇足ですが、この時代の郵便物として到着印のないのもおかしい。裏面はアート紙に印刷された「(濱松名所)五社神社」と説明のあるカラー写真です。明治末期にアート紙やカラー写真は少し早すぎ、大正後半から昭和戦前期に製造されたものでしょう。

繊細で律儀な性格の将軍が、通信内容と無関係な静岡県の神社の絵はがきなど、たとえ手近にあっても使ったりするでしょうか。「乃木さんのこと、あんましなめんじゃねー」とGANは偽作者に言いたいです。
posted by GANさん at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ニセモノ列伝 | 更新情報をチェックする

2016年07月25日

収穫あった今年の全日展

入場券.jpg7月22日から東京・錦糸町で開かれた全日本切手展に行ってきました。初日は雨模様の寒い日だったので敬遠、23日にブース漁り、24日はもっぱら展示を観察しました。今年はなかなか収穫の多かった2日間でした。

結局3店しか回れなかったのですが、ディーラーブースに座り込んでカバー類を引っかき回したのは数年振りのことです。特別軍事航空はがきの新種の第2例目を40年目にして発掘したのが最大の獲物でした。他は帰宅して照合し、いつもの例で「なーんだ」となるものばかり。タブレット導入-データ持ち歩きが喫緊の課題です。

渡会一裕さんのブースで、軍事郵便コレクターの森下幹夫さんと三木伸一さんを紹介していただきました。ユキオスタンプでは「清水の親分」長田伊玖雄さんの計らいで熊本の郵便で高名な立山一郎さんに初めてお目にかかれました。ここで飯塚博正さん、片山七三雄さんとも久闊を叙すことができました。共に、いつも教えを乞う郵便史仲間です。

日本郵便史の展示では、藤岡靖朝さんの関東大震災、志水正明さんと森下幹夫さんの軍事郵便、小林富士夫さんの中国東北郵便史が、いずれも興味深いものでした。メモを取りながら時間をかけて見て回りました。

藤岡さんは罹災地発着通信の復旧、横浜局再建過程、軍隊や民間団体の支援状況が分かる、地味に見えて貴重なエンタイアの取りまとめに膨大な時間をかけている様子がうかがえました。GANもやっている分野なので、うらやましいアイテムばかりでした。

志水さんは北清事変の天津印使用北京最初期エンタイア、日露戦争の陸海軍最初期軍事郵便、佐渡丸遭難の付箋エンタイアなどの珍品が光っていました。森下さんも張店第2、3局、青島滄口局、沿海州航路で使われた第3軍郵所出張員引受エンタイアなど未発表や1、2点しか知られていない希少軍事郵便が並んでいました。

とくに小林さんの大作には目を奪われました。カバー類の1点、1点がすべて「なるほど」と納得させられる意味のあるものばかりで、キャリアの長さがにじみ出ています。四平街第2(鄭家屯)や長春第2(農安)分室に斉斉哈爾城の書留便、吉林欧文印(KIRIN)など初めて見るような秘密局のカバーがズラリです。

奉天局第2分室(錦州軍郵所)為替変形印で引き受けた軍事郵便、奉天千代田通局の日中貼り替え便最終期カバー、営城子取扱所の会屯郵便、シベリア鉄道全通前のトロイツコサヴスク(キャフタ)経由便など、1点ごとにそれぞれ論文1編が書けそうな郵便史上の逸品が数多く、「眼福の夏」を存分に楽しませてもらいました。

この小林作品への評価が、な、な、なーんと、「大銀」。今年の審査員たち、ことに郵便史担当審査員のレベルの低さにあきれ果てました。GANが審査員だったら、これは間違いなく「金」。プレゼンがもう少し改良されれば「大金」だって射程内に入れています。居合わせた専門家の友人と「審査員がアホだから」「今年は運が悪かった」とあげつらって盛り上がりました。
posted by GANさん at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑観・雑評 | 更新情報をチェックする