2016年08月31日

郵政商法ですが、何か?

突然ですが、ここでクイズです。東証一部上場の物流会社があります。ネット販売のオリジナル商品を、「お届けは1週間ないし10日後」と堂々とうたって営業を続けている。さて、この浮き世離れした物流会社とは、いったいどこ?

正解は「株式会社日本郵便」。オリジナル商品とは郵便切手のことです。けっして受注後に生産を始めるメーカー企業の話などではありません。GANは8月25日に日本郵便のサイトにある「切手SHOP」で、シール切手など5千円余りを注文しました。届いたのが今日、8月31日のことです。

切手shop-2.jpg実は、発注後2、3日して「あれ、まだ届かないなあ。オーダーフォームの入力にエラーでもあったか」と思ってはいたのですが、再確認してませんでした。

忘れかけていたところに突然の配達です。書留ゆうパック扱いなのに無料というのはありがたいのですが、それにしても、6日がかりとは何? さっそく「お問い合わせ電話」(有料!)で聞きました。

GAN「なぜこんなに時間がかかったんですか。何か事故でも?」
日郵「いえ、当方ではご注文の翌営業日にクレジットカード決済、更にその翌々営業日に発送となっております。お客様の場合、8月26日決済、土日の27、28日を挟んで30日に発送致しましたので、本日31日配達となりました」

GAN「えー、それで6日がかりですか? そんなこと聞いてない」
日郵「申し訳ございません。当方ではそうなっております。サイトでも、約1週間でお届けすると、お断りしております」。さすがに、「6日ならまだ早い方でございます」とは言いませんでした。

GAN「だって、AMAZONなんかだったら、下手すると発注したその日に届きますゼ。決済したら即発送、が常識でしょ。改めたら?」
日郵「申し訳ございません。当方ではそうなっております。いちおう、上の者にはお話のあったことだけは伝えておきます」

お届け.png後刻、サイトをよくよく見てみると、なるほど、確かに「お届け時期の目安」というのがありました。「ご利用ガイド」という目立たない小さなタブを開いた、下の下の、また下の方に……。グループ企業・ゆうちょ銀行の郵便振替など利用した日には、なんと、「10日後お届け」が標準だったことも分かりました。GANはカード払いなのでまだ早い方だったのでした。

この「目安」によると、いつ発注しても、配達は土日をまたいで翌週回しになる勘定です。わずかに月曜日に、しかも発送センターのある茨城県土浦局の1日圏内地域から発注した場合に限り、辛うじて金曜配達になるだけです。もしその週内に祝日があったら翌週の月曜配達回し、と最悪のケースを迎えるはずです。取扱商品が販売独占の郵便切手だからできる凄ワザ、でしょうか。

今回改めて知りましたが、「翌営業日」とか「翌々営業日」というのがクセモノです。「翌日」「翌々日」とは、けっして言っていません。「護送船団」と非難された銀行業界が今でも使う日常語と同じです。それをもっと悪くした「親方日の丸」体質が、ひと昔以上も前に民営化されたはずの郵便事業に脈々と受け継がれていました。

いちおう民間企業ですが、日本郵便に物流会社の常識は通用しません。土日・祝祭日はネットショップも含む全社で営業停止します(郵便物集配だけは少し例外があるようです)。「ゆうパック」を看板商品としていますが、休日も配達するヤマト、サガワあたりに張り合う気概が見えません。これぞ武士の商法、いや、他に類例なき「郵政商法」でなくて何でしょうか。 

労働者の休日はもちろん重要です。しかし、休んでいる人がいても業務を続けることぐらい、どこの企業でもやっていることです。物流企業の自覚がまったくない日本郵便は、いずれ宅配事業から脱落せざるを得ないでしょう。「郵政解散」のとき小泉純一郎氏を信じて自民党を大勝させた私たちが愚かだった。今はそう諦観するほかありません。
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2016年08月30日

印判付き飛脚状の大集成

飛脚表紙.jpg飛脚状の収集で知られる山崎好是氏が最近、40年近くに及ぶコレクションを中心に展開した『飛脚-飛脚と郵便-』を出版しました。この方面には無知のGANですが、素人目にも興味をそそられる、大変な労作と映りました。

山崎氏は飛脚業者の店名を表す印判、「店判」が押された飛脚状を中心に収集してきたようです。それを業者の営業形態(継飛脚、三度飛脚、定飛脚、米飛脚など)と逓送路(街道筋)の2次元により、理屈でなく飛脚状の現物について整理、紹介しています。分かりやすさの原因はこの辺にあるのかも知れません。

掲載されている飛脚状は全体で300通近くにもなるでしょうか。その大部分はアルバムリーフ形式にアレンジされ、カバーごとに1ページを使って店判の印影図と簡潔な説明が添えられています。店判図は264種を収録したといい、描き起こしの裏作業のための大変な時間が想像できます。

飛脚中頁.jpgその店判を持つ飛脚状ですが、全国漏れなくカバーしているのが壮観です。逓送路でいうと、京阪奈と東海道筋はもちろんのこと、美濃路、伊勢路、西国筋を小倉まで、信州・中山道、野州・奥州道中を宇都宮まで集められています。この過程で、地方史などの渉猟から各宿駅、各時代ごとに多くの飛脚業者名を発掘し、リストに整理されています。

著者自身の最大の関心は、飛脚と創業直後の郵便との関わりにあるようです。初期郵便史の研究者が随喜しそうな「飛脚が関与して逓送された郵便」15通が紹介されています。各博物館の所蔵品も網羅して、これが今日知られるコンビネーションカバーのすべて、なのかも知れません。

掲載されている飛脚状は全体で300通近くにもなるでしょうか。その大部分はアルバムリーフ形式にアレンジされ、カバーごとに1ページを使って店判の印影図と簡潔な説明が添えられています。全国194業者の店判264種の印影を収録したといい、描き起こしの裏作業のための大変な時間が想像できます。印影の図版がことに多いことも、この本の大きな魅力です。

その店判を持つ飛脚状ですが、全国漏れなくカバーしているのが壮観です。逓送路でいうと、京阪奈と東海道筋はもちろんのこと、美濃路、伊勢路、西国筋を小倉まで、信州・中山道、野州・奥州道中を宇都宮まで集められています。この過程で、地方史などの渉猟から各宿駅、各時代ごとに多くの飛脚業者名を発掘し、リストに整理されています。

著者自身の最大の関心は、飛脚と創業直後の郵便との関わりにあるようです。初期郵便史の研究者が随喜しそうな「飛脚が関与して逓送された郵便」15通が紹介されています。各博物館の所蔵品も網羅して、これが今日知られるコンビネーションカバーのすべて、なのかも知れません。

創業直後の官営郵便は、北海道から九州に至る全国主要地を最短時間で結ぶことを至上命題としました。幕府以来整備されてきた五街道が主要逓送路となり、その先やそれ以外に手が回りません。逓送路からはずれた枝道、傍道、僻陬の地にまで郵便を届けるにはどうするか。存亡の危機に遭遇した飛脚業者のサバイバル(短期に終わりますが)ぶりがカバーから手に取るように分かり、新鮮です。

官営郵便に張り合ったり折れ合ったりと、ビミョーかつ複雑な関係を持った地方独自の通信制度にも抜かりない目配りがされています。土佐の村送りは別として、北条県の郵伝制度、愛知県半田の特別地方郵便制度のシステムなどは初めて知りました。

ところで、私たちが日ごろ目にする飛脚状は、店判はおろかハンコの一つさえ押されていないものが大部分です。山崎氏によると、東日本では飛脚状に店判を押すことは通常はなく、飛脚が運んだかどうかすら疑われる、ということです。歴史的資料のはずのこれらスタンプレスカバーを放置してよいか。カワイソー、とGANなどはついつい思ってしまうのですが。

『飛脚-飛脚と郵便-』 〔山崎好是コレクション〕
山崎好是著、鳴美刊(2016年7月)、B5判320ページ、7,407円
著者は1958年生まれ。郵趣品と観賞魚の売買と関連書籍出版業の株式会社鳴美代表取締役。大学の卒論は「絹の道と郵便」。飛脚状収集家。郵趣関係と観賞魚関係の編著書多数。
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2016年08月29日

哈爾賓BRANCHって何?

HARBIN-3.jpg数十年前に入手した「私白」(収集用として官製はがき印面部に日付印を押印した「官白」に対し、私製はがきに押印したものを便宜的に呼びます)です。「HARBIN」はいいとしても、下部C欄の「BRANCH」とは、いったい何でしょう。

素直に読めば、1932(昭和)年2月15日の「哈爾賓局支局」ですが、日本郵便史上そのような局所が存在した事実はありません。この時期には日本哈爾賓局など開設されていず、当然、その「支局」もあり得ません。

秘密局として有名な長春局哈爾賓出張所やシベリア出兵時の臨時哈爾賓局も確かにあります。臨時哈爾賓局には新市街出張所も開設されました。しかし、そこで欧文印を使ったとしたら、C欄は「I.J.P.A.」でなければなりません。いずれにせよ、これらは明治・大正期の話です。

実はこの「私白」は、鉄道郵便など郵便印の研究で高名な植野良一氏(故人)のコレクションでした。古く、『消印とエンタイヤ』第61号(1952年)に印影が発表されています。以来60年以上が経ちますが関連続報はなく、正体が解明されないままの、いわば「ナゾの印影」だったのです。

そもそもこれはエンタイアではなく、1例しか知られていない「私白」に過ぎません。日本郵便機関で使われた真正の日付印である保証はないのです。例の「泰緬鉄道郵便」の日付印同様、空中楼閣的なニセモノ印である可能性を十分考える必要があります。いったいこれはホンモノか、偽造印なのか--。

長年の疑問を解決しそうなヒントが、ごく最近現れました。これとまったく同じ、第2例となる印を旧楠公はがきに押した官白が、8月半ばのネットオークションに出品されたのです(GANも参戦し、こてんぱんに敗れました)。はがきを包んだパラフィン紙に「ハルピン軍事郵便取扱所」と説明がありました。達者な万年筆書きです。特徴が強かった、あの植野氏の筆跡ではありません。

「哈爾賓軍事郵便取扱所」だったら、GANには心当たりがあります。満州事変の最初期から開設されていた俗称「哈爾賓野戦局」のことです。「満洲国」が建国される以前なので「軍事郵便取扱所」という正式名は表に出さず、秘匿名の「長春局第2分室」を使って軍事郵便のほか哈爾賓在留日本人の郵便も有料で取り扱いました。

新京第2-2.jpg開設されたのは1932年2月9日ですが、その後10ヵ月間は独自の日付印を持ちませんでした。郵便引受けには、哈爾賓からずっと離れた本局・長春局印を流用しました。

独自印の導入は、長春が「新京」と改称された後の32年12月になってからのことです。櫛型上部のA欄に「新京」、D欄(櫛型部)に第2分室を意味する「2」が表示されました。右図は民間人がこの「哈爾賓野戦局」から普通便として発信したはがきで、新京局第2分室印が押されています。

もし、「哈爾賓所在の長春局分室」が開設直後に欧文印を調製したとしたら、局名表記をどうするか。「CHANGCHUN/BRANCH」も検討されたでしょうが、これだと第1(吉林)、第3(所在地不明)、第4(敦化)などほかの分室と区別できません。

結局、この「HARBIN/BRANCH」が適当、とされたのではないでしょうか。本局である長春局の表示は棄て、単に「哈爾賓分室」と表現した、というわけです。BRANCHは支局、分局、出張所などと同様、分室を表すにも使われるようです。

それでも、かなり本質的な問題が残ります。いったい「哈爾賓野戦局」などが国際郵便を取り扱ったものでしょうか。しかも専用の欧文印が必要なほど大量に、とは。これら分室が引き受けた国際郵便は、まだ存在が知られていません。この点については、さらに新資料を発掘しなければなりません。当面は「HARBIN/BRANCH=長春局第2分室」説を提案します。
posted by GANさん at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 郵便印 | 更新情報をチェックする