2017年12月29日

返信料を前払いした電報

前納電報-1.jpg前納電報-2.jpg「返信料前納電報」というものがあったことを、ごく最近にヤフオクで現物を入手して初めて知りました。すぐに返事をもらいたい電報の発信者が、受信者からの返信電報代を先に立て替え払いしておく制度のようです。

これは明治39年(1906)11月6日に岩手県西閉伊郡遠野局管内の某氏から同県稗貫郡花巻局管内の「ヤマキテン」に宛て発信された電報に対する返信電報の料金として20銭が前納されていることを示す花巻局作成の證書(上図左)です。證書の裏面(上図右)はその返信電報用の賴信紙(未使用)になっています。往復はがきの返信部と似た性格と言えそうです。

この證書には発行した花巻局の黒色局印と朱角印が押され、さらに電信事務用の下部空欄丸一印も上下に押されています。下部ミシン線の下は局に残される発行控えと思われます。裏面は「返信料前納電報返信用紙」とタイトルがあり、賴信紙として使えるようになっています。未使用に終わったため印影類は何もありません。表裏とも青色で印刷されています。

證書の面には「受領者の心得」として使用方法が詳しく記されています。30日以内ならどこの局所からでも元の発信者(遠野)宛てに無料で電報を発信できること、実際の電報料が20銭をオーバーした場合は差額分を郵便切手貼付で支払うこと、證書を使わない場合は60日以内に元の発信局(遠野局)に請求すれば料金が還付されること、などです。

元の発信者とは無関係な第三者宛ての電報に流用できるのかどうか明記はされていませんが、「いつ、どこからの電報に対する返信」と記入されているので、事実上禁止されていたのでしょう。前納された20銭は、同一市町村以外に宛てる「市外電報基本料金」(15字以内)に相当します。

花巻局では元の電報の送達紙を配達する電信事務封筒にこの證書を同封して受信人に渡したと考えられます。しかし、受信人はこの證書を利用せず、しかも前納料金の還付請求もしませんでした。ただでさえ返信料前納電報の利用が少なかったのに加え、還付請求もしなかったために證書が市中に残りました。極めて希少な例ではないかと思います。

電報を打った遠野の某氏は大至急返事をもらいたかったので、この制度を利用したに違いありません。相手のその焦慮する心を知ってか知らいでか、花巻の「ヤマキテン」は返事をネグレクトしてしまいました--。この「続編」はどうなったのか、ちょっぴり知りたい気もします。
posted by GANさん at 22:33| Comment(0) | 電信・電話 | 更新情報をチェックする

2017年12月16日

奉天キャッスル局欧文印

大北門.jpg満州の奉天局大北門出張所で1908年(明治41)に引き受けられたドイツ宛てのはがきで、「MOUKDEN.C」という見慣れない欧文印が押されています。関西の大手オークションで落札し、ごく最近到着しました。

データを詳しく言うと、菊2銭2枚貼りを「奉天・大北門 41.7.6」で抹消し、さらに欧文印の「MOUKDEN.C 6.7.08」と「CHANGCHUN-S 7.7.08」が押されています。「CHANGCHUN-S」は長春駅(STATION)と理解されています。しかし「MOUKDEN(奉天) .C」がどこの局か分かりません。

MOUKDEN.C.jpg満州の欧文印については、 JOHN MOSHER『Japanese Post Office in China and Manchuria』(1978)や西野茂雄『外信印ハンドブック』(1985)が参考になります。しかし、両書ともMOUKDEN-Sは載っているのですが、MOUKDEN. Cはありません。少なくともこの段階では存在が知られていなかったようです。

「MOUKDEN. C」の候補となり得る局所は4つ考えられます。(1)奉天本局、(2)奉天局大北門出張所、(3)奉天局大西関出張所、(4)奉天局奉天駅出張所です。このうち大西関出張所は1908年8月、奉天駅出張所は1911年6月の開設なので除外できます。奉天駅出張所の欧文日付印は「MOUKDEN-S」と分かっています。奉天局は後ろに何も付かない「MOUKDEN」「MUKDEN」を使い続けたようで、これもはずれます。

消去法では大北門出張所が残ります。このはがきは大北門出張所でまず和文印で抹消されてすぐ、同じ郵便課の外国郵便係に回されて「MOUKDEN. C」印が押されたのでしょう。翌日に外国郵便交換局の長春局で区分の際、東清鉄道のロシア寛城子局との交換のため「CHANGCHUN-S」印を押しました。--このように仮定しても、不都合や矛盾はありません。

それでは「MOUKDEN. C」の「C」とは何か。CASTLE(城)、またはCITY(城郭都市の内部)の頭文字だろうとGANは考えます。大北門出張所は07年10月末までは独立の奉天城内局でした。11月1日に奉天局出張所に降格・改称されましたが、その後も奉天城内地区の集配を継続しています。この集配事務は08年8月に奉天局大西関出張所が別に開設されて引き継がれますが、大西関でも同じ欧文印を使い続けただろうと思います。

奉天(旧市内)は清朝が北京に遷都する以前の宮殿を城壁で四角形に囲んだ内城とそれを円周状に大きく取り巻く外城壁によって区画されます。大北門出張所は内城の北門内側、大西関出張所は外城の西門内側に設けられていました。満鉄本線奉天駅は内城の西方約5㎞離れた位置にあり、駅周辺の満鉄付属地一帯は「新市街」と呼ばれました。奉天局は奉天駅の東方300mの近距離でした。

やがて、奉天城内居住の在留邦人は便利な奉天駅周辺の新市街地に移り住むようになります。郵便物取扱が激減したため大西関出張所は1910年11月末限りで集配を廃止し、無集配局となりました。「MOUKDEN. C」印も同時に廃止されたのでしょう。この欧文印の使用開始期は不明ですが、奉天城内局-大北門出張所-大西関出張所と3代にわたって使われたはずです。

翌1911年6月に前出の奉天駅出張所が開設され、本局に代わって安奉線との郵便物積み替えのほか中国奉山線鉄道(山海関-奉天)との郵便交換を受け持ちます。「MOUKDEN-S」印はそのために使われたのでしょう。また、「MOUKDEN」や「MUKDEN」印は、奉天本局での外国郵便直接引受用のほか、奉天駅出張所開設までの間の郵便交換用にも使われたと見られます。

本稿での各局の郵便物集配状況や郵便交換事情については『関東都督府政務報告』各期(外務省外交史料館蔵)によりました。

追記(2018.01.27) 中国郵便史専門家の飯塚博正氏から「MOUKDEN.CはMOUKDEN CITYを意味する」とのご教示を得ました。同氏は近似例として1911年「天津城 TIENTSIN CITY」のバイリンガル印のある中国カバーを示され、GANもその通りだと思いました。この記事のタイトルは「奉天シティー局欧文印」の方が適切でした。飯塚氏に感謝します。
posted by GANさん at 02:38| Comment(0) | 満洲・関東州 | 更新情報をチェックする

2017年12月04日

「三笠艦大写し」の実逓

三笠艦大写し171129-11.png日露戦争記葉の珍品として昔から知られる「三笠艦大写し」がヤフオクに出品(左写真)されました。実逓便としては恐らく初出。注目していたら、なんと! 11月29日に22万4千円という破格の高値で落札されました。

このはがきは逓信省が日露戦争中に発行した多数の記念絵葉書のうち1905年2月の第3回「天長節の部」3種セットの1種、「海軍」です。三笠艦大写し171129-21.png聯合艦隊の旗艦「三笠」と司令長官東郷大将が描かれています。

当初印刷された「初版」では「三笠」の艦形を大きく描きましたが、満艦飾の「三笠」に差し替えられてしまいました。正式発行された「再版」の方が結果的に艦形は小さく、不明瞭になっています。

「初版」の大写し「三笠」は印刷倉庫の段階で全量廃棄されたはずですが、一部が市場に流出したようです。故・島田健造氏は『日本記念絵葉書総図鑑』(1985年)で、「現存数は2、3枚程度」「実逓使用例は発表されていない」と解説しました。差し替え理由は公式には「満艦飾の写真の方がより良い」ですが、島田氏は「郵趣界では防諜上の問題といわれる」と指摘しています。

今回出品の初版はがきは樺太の九春古丹野戦局で明治39年(1906)8月6日に引き受けられた軍事郵便です。日露記葉には軍事郵便用と普通郵便用とがありますが、これは普通郵便用はがきです。島田氏は「(初版は)恤兵(軍事郵便)用も印刷されたか不明」とも書いています。

発信人の「樺太郵便部 竹内友二郎」は樺太守備隊郵便部長で、野戦郵便の現地最高責任者でした。民政移管後もそのまま樺太庁郵便電信局長に横滑りし、初期樺太郵政を担った最高幹部です。廃棄はがきが「参考品」として配布され、使用できたとしても、それほど不思議ではありません。

大写し再版.jpg大写し初版.jpg『総図鑑』2009年復刻版所載のカラー写真(右写真、左が初版、右が再版)と今回出品物とを見比べると、図案は全く同じですが、色合いがかなり異なります。『総図鑑』写真が落ち着いたセピアとオリーブ色基調なのに比べ、出品物は全体に青色系が強調され、とくに東郷大将の上半身写真を囲む舵輪の青色が目立ちます。しかし、これは別の印色ということではなく、複写、出力上の技術的な発色違いと思われます。

蛇足ですが、初版を刷り直した真因は「満艦飾」や「防諜」ではないでしょう。このセットの他の一種、「陸軍」に描かれた満州軍総司令官・大山元帥には「Marshal Oyama」と説明がありますが、「海軍」の初版では東郷大将に説明がありません。単純ミスでしょうが、これではだれか分かりません。再版で「Admiral Togo 東郷大将」と加わりました。名前の入れ忘れの修正、GANはこっちが「正解」だと独断しています。
posted by GANさん at 19:43| Comment(0) | ステーショナリー | 更新情報をチェックする