2019年02月06日

従軍記者が運ぶ軍事郵便

従軍記者内-戦表.jpg従軍記者内-戦裏.jpg日中戦争期の軍事郵便に新聞社や通信社名で「従軍記者托便」と印刷されたりスタンプが押されたりしたものを見ることがあります。

前線の兵士が書いた手紙を従軍記者がついでに運び出したのかと漠然と考えていました。しかし、最近になってもっとシステム的に奥があることに気づかされました。

上図は東京の大手フロアオークションで先月落札したはがきです。東京日々新聞(=東日、現在の毎日新聞)の「従軍記者托便」により故郷から戦地宛てでした。よくある従軍記者が前線から後方に運んだものとは逆です。この通信文面に次のように印刷されています。

従軍記者上海戦線.jpg 此のはがきは本社特派員が上海戦線へ持って行きます、
 十二月六日迄にお便り御書入れの上販売へ御届け下さい


東日は上海付近の戦地へ取材記者を派遣するに当たって、取材先の部隊の出身地である栃木県那須村(現在の那須町の一部)周辺の購読者にこのはがきを配ったのでしょう。この文面に「販売へ」とあるのは、東日新聞の販売店のことで、記入済みはがきをまとめて東京の本社に送ったと思われます。

那須村長以下の村の要人たちの連名で「武威高揚に感謝、奮闘を祈る」という趣旨がガリ版印刷されています。村役場の兵事係が村出身兵士一人一人の宛名を懸命に書き、印刷したのかも知れません。宛先の「山田常部隊」とは1938年当時華中で作戦中の宇都宮第22師団かと考えましたが、解明できませんでした。

このはがきには「郵便はがき」の表題はありますが、実際は郵便逓送でなく、記者が持ち運んだ東日の無料「会社便」でした。だから、切手貼付位置を示す枠や「軍事郵便」表示は不要で、印刷がありません。宛先も最初から特定されているため、「上海派遣」などの表記は不要だったのです。

従軍記者戦-内裏.jpg従軍記者戦-内表.jpg銃後と前線兵士を結ぶ東日のサービスはこれに留まりませんでした。記者は取材終了後、兵士から故郷への通信も預かって帰国しています。

上図のはがきとセットで作られた「帰り便」の軍事郵便はがきを右図に示します。前線の兵士の故郷宛て通信を従軍記者が運び出していますが、どこかで野戦局などに引き渡して郵便逓送されたのか、あるいは内地まで持ち帰って販売店から宛先に直接配達したのかは分かりません。

いずれにせよ、従軍記者が故郷と前線の間で双方向の通信を媒介していたことになります。取材以外にこんな負担まで抱え込んで、果たして十分な報道活動はできたのでしょうか。背景には大手新聞社間の激烈な部数獲得競争や軍部への阿りがあっただろうことが十分に想像できます。

[追記](2019.02.07)「通りすがり」さまから別記コメントを頂き、はがき宛先の「山田常部隊」とは宇都宮の歩兵第66聯隊と判明しました。「通りすがり」さまに感謝します。
posted by GANさん at 17:40| Comment(2) | 軍事郵便(陸軍) | 更新情報をチェックする