2019年05月12日

御大喪と御大典の臨時局

武蔵横山.jpg元号が替わるの替わったのというアベ政権脚本、テレビ局主演のバカ騒ぎもようやく一段落したようです。「天皇崩御を伴わない御代みよ替わり(=改元)だから盛り上がった」。コメンテータの賢しら顔を眺めて、前々回には両方で臨時局の開設があったことを思い出しました。

前々回、つまり大正から昭和への御代替わりは、大正15年(1926)12月25日のことでした。亡くなった大正天皇の葬儀(御大喪)は昭和2年(1927)2月8日に東京で、践祚せんそした昭和天皇の即位礼(御大典)は昭和3年11月10日に京都で行われました。

大正天皇の陵墓は東京府南多摩郡横山村(現在の八王子市長房町)に新造されました。当局は造営や式典準備、参列者のため昭和2年1月23日に武蔵横山局を臨時開設し(上図)、2月15日限りで廃止しました。当時の浅川局の集配区管内で、今日の八王子横山町局とは全く無関係の局です。

武蔵横山局は2等局でしたが集配はせず、郵便物は窓口引受だけ扱いました。若干の官白が残されていますが、実逓便は聞いたこともありません。2月7、8日だけ東京、横浜との間に限定した速達取扱も行われました。もし、このエンタイアが世に出たら「超」が2、3個は付く大珍品でしょう。

京都御所内.jpg一方の御大典は大正天皇に続く昭和天皇第2皇女の服喪があって少し遅れました。昭和3年11月10日に京都市上京区の京都御所で即位礼、続いて14、15日に大嘗祭が行われています。このため御所内に11月1日から(左図)11月30日まで京都御所内局が臨時開設されました。

京都御所内局は武蔵横山局と同様に2等局で集配は扱いませんでした。開局期間中、京都市内、東京、神戸との間で速達も引き受けました。こちらは武蔵横山局のわずか2日間限りと異なり1ヵ月と比較的長いのですが、やはり速達便はまだ収集界に出現していないようです。

京都御所内局の官白はよく見る気がしますが、ほとんどは11月10日の大礼記念特印です。当時のコレクターの興味は今日と違い、大きくて華やかな特印の方にあったのかも知れません。わざわざ局を訪れても黒活印の押印を求めた人は少なかったようです。御大喪では特印は使用されませんでした。

両局の印影を比べると、時刻表示が武蔵横山局では午前0-9時のY3型なのに、京都御所内局は午前0-7時のY1型と異なっているのに気づきます。Y3型の時刻表示は午前9時から始まる3時間刻み、Y1型は午前7時からの1時間刻みです。この間に2時間刻みのY2型もあります。

これは武蔵横山局の集配を受け持つ浅川局が3等局なのに対し、京都御所内局の京都局は1等局と等級格差があるためかも知れません。つまり、その局自体は同じ2等局でも、臨時特設局の時間刻みは受け持ち集配局に倣ならうのではないかという推測です。

武蔵横山、京都御所内局ともに郵便以外に電報も扱いました。配達は局構内などごく狭い範囲だけと思われ、これらの局の日付印が押された電報送達紙の出現もまた絶望的です。為替・貯金業務は武蔵横山局では扱いましたが、京都御所内局では扱っていません。告示にはあるのですが、臨時陵墓局で為替を組んだり貯金する人など実際にいたのでしょうか。

武蔵横山 東浅川分室.jpg【追記】(2019.5.29) 収友の田中寛氏から「武蔵横山局には東浅川分室もあるよ」と教えていただき、驚きました。印影(右図)もご提供いただいたので、ご紹介します。御大喪当日2日間だけの開設だったそうです。あわてて逓信公報を見直してみましたが、この分室の開廃についての告示・通達類は見当たりませんでした。臨時特設の分室や出張所については地方逓信局報に掲載するにとどめていたようです。機会があれば当時の東京逓信局報で確認してみたいと思います。いずれにしても2日限りの臨時局分室、まことに稀少な存在です。

GANの調査では、この分室は浅川駅(現在の高尾駅)の1.1㎞東寄りに設けられた東浅川仮停車場構内に開設されたと思います。御大喪当日、大正天皇の遺骸は新宿御苑内に設けられた仮停車場から特別列車で中央線に乗り入れ、東浅川仮停車場に運ばれました。仮停車場からは甲州街道を横切る新設の広い道路を陵墓まで自動車の車列で進んだのでしょう。仮停車場自体は既に廃止されましたが、駅前広場は八王子市東浅川保健福祉センターの第2駐車場として利用されています。
posted by GANさん at 15:24| Comment(0) | 郵便印 | 更新情報をチェックする