
これは海軍の軍事郵便交換局である「横須賀局気付」を肩書きする海軍式と、「膽6681」という陸軍式の部隊表記が混在した、いわゆる「ハイブリッド型」のアドレスです。このタイプのアドレス表記は、海軍側が軍事郵便業務を担当する地区に配属された陸軍部隊で使われました。
硫黄列島を含む小笠原諸島の防衛は陸軍の担当で第31軍隷下部隊が配備されましたが、その補給は輸送能力のある海軍の責任でした。昭和19年(1944)6月にサイパンが陥落し、そこに司令部を置いていた第31軍が壊滅すると、小笠原では第109師団以下の各守備部隊が31軍を離れて大本営直属の「小笠原兵団」として再編されました。

結論から先に言ってしまうと、「この部隊がいた島には区別符がなく、アドレスに書きようがなかった」のでした。独立歩兵第275大隊は昭和20年(1945)1月の編成直後から父島の北に隣接する無人島・兄島(下図=国土地理院「地図globe」から)を守備しました。しかし海軍は戦略的に無価値とみて、この島に区別符を振らなかったのです。

兄島には現に陸軍の守備隊が駐屯したのに、最後まで海軍から所在地区別符をもらえなかったのは事実です。かなり例外的なケースでした。海軍にとって陸軍は所詮は「他人」。陸軍の小部隊1隊だけが駐屯する小島など無視し、「海軍公報」にいちいち登載して公布するなどの面倒な手続はスルーしても、とがめる人がいたでしょうか。しかも、実務上の支障はほとんどなかったはずです。
軍事郵便が集中する交換局の横須賀局は、「膽」の1字だけを目印にすべて父島に置かれた海軍の第17軍用郵便所に送り込んでいたでしょう。17郵便所では「6681」部隊とあれば兄島にあるただ一つの部隊とすぐ分かりました。
要するに、所在地区別符がなくても、郵便物としての区分・逓送に混乱しなかったはずです。非常に特異なアドレスですが、それが生まれた背景にはこのような事情があったと思われます。