2019年07月23日

愛妻にバラした軍事機密

国崎支隊.jpg国崎支隊-3.jpg軍事郵便の通信文には日清戦争以来「軍事機密を漏らしてはならない」という一貫した大原則があります。機密とされる内容は時期によって細部の違いがありますが、通常は部隊の編成と作戦計画(今後の行動予定)が主要なものでした。

満州事変以降は制限事項が格段に増え、通信の発信日と発信地の秘匿が厳禁されました。組織的に徹底させるため、「部隊検閲」が開始されたのがこの頃です。部隊(多くは中隊)ごとに指名された人事担当准尉など下士官が発信前の通信を検閲しました。「〇〇日に無事〇〇に着きました」などという笑えない無意味な表現が増えます。

ところが、この軍事郵便最大のタブーを完全に破った、それも最高機密ダダ漏れという、とんでもないものを最近入手しました。軍事郵便の通信文は長年にわたって読んできましたが、これほどのものは初めて見ました。軍機漏洩の最高に極端な例としてご紹介します。

金山衛城-1.jpg右上図は柳川部隊国崎支隊のある少尉が故郷(地名の一部は加工済み)の妻に書き送った軍事郵便です。達者な万年筆の通信文により、昭和12年(1937)11月1日に朝鮮西海岸の木浦沖に停泊中の船内で書かれたことが分かります。木浦港との連絡船艇で木浦局に運ばれたのでしょう。

「明11月2日当港発、11月5日上海の南、杭州湾北岸の金山衛城に敵前上陸」「上海の戦況膠着なので、背面攻撃で敵を殲滅する命令」「この方面の軍司令官は柳川中将で、指揮下に第6、18、114師団と我が国崎支隊が入る」「国崎支隊は敵前上陸専門部隊なので、今度も第一番に上陸」

便箋5枚にわたって、このように具体的な作戦計画と部隊編成が詳細に綴られています(左図)。最後に「以上は前信と同様軍事機密ですから、‥‥斉藤、楢崎、吉川に回覧のうえ、保管しておいて下さい」。当の妻だけでなく、知人3人にも回覧して知らせてほしいと、完全な「確信犯自覚行為」です。

これほどの軍紀違反が堂々と罷り通ったのは、一にも二にも差出人が将校だったからです。封筒の表面には部隊検閲を通った証明として「小田」の認印がありますが、恐らくは中身を見てもいないメクラ判でしょう。読んでいたら、いくら上官でもチェックせざるを得ません。帝国陸軍の将校と兵卒とでは軍律適用もダブルスタンダードだった悪しき一例です。

なお、この少尉が属する「柳川部隊」は10月14日に新編成されたばかりの第10軍、「国崎支隊」は華北で作戦中の第5師団から引き抜かれた歩兵第9旅団(旅団長・国崎登少将)です。第10軍は少尉の「予告」通りの日に杭州湾逆上陸を果たします。腹背から攻撃を受けた上海の中国軍は潰走し、南京・漢口陥落と続く結果を招きました。戦史上に著名な事実です。
posted by GANさん at 03:08| Comment(0) | 郵便検閲 | 更新情報をチェックする