2019年10月30日

内地兵営で部隊検閲開始

部隊検閲01.jpg部隊検閲04.jpg召集を受け青森市郊外の第8師団歩兵第5聯隊に入隊した兵士からのはがきです。昭和12年(1937)10月7日の青森局機械印で引受けられています。

これだけなら、ありふれた「入営挨拶状」に過ぎませんが、はがき表面の下部に押された角枠「十月七日/中隊長点検済」の紫色スタンプ(「十」「七」は手書き)が目に付きます。差出人の新兵が属する中隊の、いわゆる「部隊検閲」印です。通信文の一部が抹消されているのは、召集の種別を書いたため検閲に引っかかったのかも知れません。

このとき、第5聯隊は青森に「留守隊」を残し、第8師団主力に従って「満州国」北東部の綏陽周辺に駐屯していました。差出人も短期間の補充兵訓練を経て、遠く北満州の駐屯地に派遣されたはずです。時期的に言って日中戦争初期の激戦中なので、検閲が実施されたのはそうした「緊張感」の反映かも知れません。

初期検閲#02.jpg初期検閲#01.jpg似た例をにもう1点示します。やはり第8師団に属する青森県弘前市の部隊からで、上図より1ヵ月早い12年9月5日の弘前局引受印があります。消印に重なって押された検閲印らしい認印は「石岡」と読めます。部隊名が「口澤」か「日津」か分かりませんが、弘前駐屯の歩兵第31聯隊、騎兵第8聯隊、野砲第8聯隊のいずれかではないかと思います。

軍事郵便、あるいは服役(在営)中の兵士からの郵便が検閲を受けたことは、今日では常識のようになっています。ところが意外なことに、この部隊検閲がどのように始まったのか分かっていません。検閲の開始時期や根拠、運用などの事情を明かす軍側の資料が見つかっていないのです。

日露戦争時代には、戦地からの無料軍事郵便でも無検閲が原則でした。軍事切手貼りの軍事郵便も検閲されていません。反面、太平洋戦争時代になると、台湾、朝鮮も含む内地(戦場の後方)の兵営にいるだけで、一兵卒から将校、さらには「閣下」と呼ばれる将官の旅団長・師団長に至るまで例外なく検閲を受けています。

無料軍事郵便の検閲については別に考えるとして、内地部隊の兵士の郵便が検閲を受けるようになったのはいつからか、に関心を持って関連する郵便物を集めてきました。GANの知る限り、在営兵士の発信で部隊検閲を受けた郵便は、に示した2点のはがきが最古の使用例です。第8師団として隷下部隊に検閲を指示していたのかも知れません。

では、内地の部隊検閲は日中戦争の開始によって始まったのでしょうか。37、8年中の「入営挨拶状」はたくさんありますが、大部分は検閲を受けていません。この2点が例外的に早いのです。「戦時下」となっても陸軍省・参謀本部に検閲についての統一方針がなく、部隊ごとの判断に任されていた状況を示唆しています。

posted by GANさん at 18:21| Comment(0) | 郵便検閲 | 更新情報をチェックする