2020年05月26日

満洲丸二型印に左書誤刻

王爺廟-1.jpg龍井村.jpg「満州国」郵政が初期に使った日本製の大型丸二印、いわゆる「満洲丸二型印」に左書きのエラー印が2局あることが分かりました。右に示す吉林省龍井村局()と興安省王爺廟局()のエンタイアです。共に最近のネットオークションで入手しました。

龍井村局印は満州国年号の康徳元年(1934年)10月10日です。横長(平体)ゴチック体の省名「吉林省」が右書き、局名「龍井村」は楷書体で左書き、つまり省名と局名が左右バラバラ書きです(下図の左)。当時の正書法は右書きなので、明らかに局名の方がエラー(誤刻)です。

丸二型印の「元年」は、康徳元年より3年前の大同元年(1931)ということも一応は考えられます。しかし、大同元年10月中はまだ中国郵政の旧印を流用中で、丸二型印の影もありませんでした。当時の情報によると、東京の築地活版所で新たな丸二型印の印顆が出来たのは31年10月末ごろです。現地への発送は11月以降、一斉に使用が始まったのは翌年(大同2年)1月1日からとなりました。

龍井村-2.jpg王爺廟-2.jpg一方の王爺廟局印(左図の右)は康徳2年11月27日で、ゴチック体の省名「興安」と局名「王爺廟」が共に左書きとなっているエラーです。しかも縦長(長体)フォント「王爺廟」3文字の配列が特異です。中央の「爺」だけが半文字分ぐらい下に沈み、垂直のまま外枠の円周に沿っています。

王爺廟局の丸二型印に左書きのものがあることは、既に織田三郎氏が「満州国の省名入り丸二型日付印について」(『関西郵趣』1978年9月号)で報告しています。単片上の一部局名だけが示されました。完全印影は今回が初めてのようで、省名、局名共のダブルエラーだったことが分かりました。

このようなエラー印は、受注した印判業者あるいは活字製作会社のまったくのうっかりミスでしょう。ことに初期は築地活版所で印顆の印枠と省名、日付活字を製造し、局名活字については水牛印材を満洲に送って現地で手彫りしたといいます。ゴチック体と楷書体、右書きと左書きが混じる龍井村局印にはそうした背景がありそうです。

王爺廟局の場合は同一業者が省名、局名活字の両方を同時に製作したはずです。となると、同時期の興安省で王爺廟以外の局ではどうだったでしょうか。省名だけ左書き印、省名・局名とも左書き印がもっと他にもあるかも知れません。
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2020年05月21日

切手でない「弾丸切手」

弾丸切手パンフ.jpg弾丸切手袋.jpg突然ですが、ここでクイズです。本当は切手じゃないのに郵便局で切手として売られたもの、なぁーんだ? 訳知り顔の郵趣家は「それは飛信逓送切手さ」と答えるかも知れません。しかし、明治初年の公用治安情報速達に使われた飛信逓送切手は郵便局で「売られ」てはいません。関係官庁に配布されたのでした。

クイズの正解は「弾丸切手」です。1942(昭和17)年6月8日に1枚2円の定額で発売されました。上の図は郵便局が配った弾丸切手推奨パンフレットと保管用の袋です。太平洋戦争開始からちょうど半年後のことなので、名前だけ聞いて、きっと銃砲弾を描いた切手だろうとか、兵器や軍需品の製造費に充てる寄付金付き切手ではないか、などと考えた人が多かったでしょう。

戦時貯金切手.jpgしかし、それも違います。「弾丸切手」は当局が付けた通称で、正式名称は「割増金附戦時郵便貯金切手」でした。では、二宮金次郎の10銭貯金切手と似たようなものかと思うと、実物(右図)を見れば分かるとおり、そもそも郵便や切手とは形も用途も無縁です。正体は「富くじ付き据置貯金クーポン券」とでも言うほかない、複雑にして奇怪極まる代物でした。割増金とは官庁だけの用語で、富くじ(宝くじ)の当籤賞金のことです。

中国との戦争に加え、英、米、蘭(想定ではソ連も)を相手に無謀な太平洋戦争を仕掛けたので、戦費は底なしでした。日本政府はGDP(国内総生産)の数年分もの赤字国債を発行して当面を糊塗しました。経済力無視の借金付け回しで、戦中・戦後のハイパーインフレは初めから承知でした。しかも戦争の帰趨と無関係に元金の償還期限は確実に迫ります。

政府は国民に国債を買うよう必死に呼びかけました。郵便の標語機械消印にまで「兵は戰線/我等は国債」「求めよ国債/銃後の力」などが氾濫しました。しかし、国債を買えるのは富裕層に限られるため、国民大衆の零細資金に目を向けます。政府は日本勧業銀行に「大東亜戦争報国債券」を発行させ、さらに低額で逓信省貯金局にも発行させたのが弾丸切手でした。共に無利子ですが「売り」は富くじ付き。射幸心を煽って資金をかき集める政策です。

据置貯金証書.jpg弾丸切手は42年6月から毎月1,000万円ずつ発売されました。抽選で毎回1等1,000円から4等2円までの賞金が当たります。92%がはずれ券となりますが、はずれ券5枚(額面合計10円)を郵便局で5年間無利子据置の「大東亜戦争特別据置貯金證書」(左図)に引き換えることができました。結局、弾丸切手とは5枚買って10円の定額据置貯金をするだけのものでした。

弾丸切手には据置貯金以外の使い道はありません。元金の償還や払戻はなく、据置貯金も申込み期限に遅れれば無効、4枚以下や発行時期が異なるものはいくら持ち合わせていても無効でした。貯金局には多数の購入者から使途への疑問や不満・苦情、改善意見などが寄せられていたようで、その一部の手紙や回答文案が国立公文書館に残されています。

そんな始末に負えない「クーポン券まがい」を、当局はなぜ「弾丸切手」と名付けたのか。説明する資料は見当たりません。GANが推測するに、富くじに「当たる」から「弾丸」、郵便局で売るので「切手」、というだけのこじつけでしょう。戦時下国民の愛国心を利用するだけして5年満期時にはインフレで無価値化、という底意も透けて見えます。低俗で姑息、しかも阿漕な官僚発想と言うほかありません。

恐らく弾丸切手はそれ自体で「自爆」してしまい、国債消化どころか売れ残り大失敗に終わったことでしょう。「弾丸切手がお国のため役立った」などという資料には、ついぞお目にかかったことがありません。行き場を失った多くの弾丸切手が80年近く経った今も、亡霊のようにネットなどの古物市場をさまよい続けています。
posted by GANさん at 03:42| Comment(2) | 為替・貯金 | 更新情報をチェックする