2014年02月04日

察哈爾省の満洲国系郵局

CHANGPEI-1.JPGCHANGPEI-2.JPG今日届いたヤフオク落札品です。一見すると満州国康徳4年(1937年)の白塔はがきの駄ものですが、引受印の「張北」は満州国ではありません。内蒙古、あるいは蒙彊と呼ばれた中国・察哈爾(チャハル)省の町です。当時の関東軍の「華北(北支)分離工作」を示す好史料とGANは考えています。

内蒙古に満州国系郵政機関が開設されていた事実は、戦前にまず荒井国太郎氏が「蒙彊郵政概要」で言及しました。戦後になって松岡登氏が「内蒙古察南地方の満州国系郵便局」で詳しく書きます。1936年1、2月に張北、徳化など6局(その以前に多倫局も)が開設されたことをエンタイアの写真付きで明らかにしました。共に『切手趣味』誌に掲載されています。

Feb06#04.jpgこれを「満洲国による蒙古郵政の委託経営」と解説する中国占領地切手収集の「専門家」たちがいますが、事実誤認です。張北など6局が開局した36年初頭には、まだ委託する主体となる政権など影も形もありませんでした。

満洲国郵政総局の『満洲帝国郵政事業概要』に「察哈爾盟の郵政は本邦郵政の委託経営となり……」と書かれているのを「専門家」たちは鵜呑みにしているのでしょう。しかし、満洲国側にはこういう記述にして事実を偽装せざるを得ない事情があったのです。

蒙古王族の徳王が内蒙古で初の非国民政府系の「蒙古軍政府」を徳化で発足させたのが36年5月でした。軍政府が満州国交通部と初めて郵政業務暫行委託協定を結んだのは37年に入ってからです。軍政府の勢力範囲は察哈爾省の中南部にあたる察哈爾盟を中心としたごく狭い地域です。この協定でも「蒙古郵政の委託」などとは、とても言えたものではありません。

それでは、協定以前の満系郵局にはどういう根拠があるのか。根拠は全くありません。強いて言えば侵略です。関東軍が「察東事件」を引き起こして察哈爾省東部を占領し、これに付随して満洲国の日系郵政職員が既存の中国郵政機関を実力で接収したのが実態です。『郵政事業概要』の表現は、こういった事実を隠蔽するため時系列を前後させた美辞に過ぎません。

日本は内蒙古を含む華北全体を中華民国から分離・支配することを策していました。関東軍がその一環として実行し、35年12月に蒙古族の李守信将軍を操って察東6県に侵攻させたのが、この察東事件です。後に察哈爾・綏遠両省を国民政府から「独立」させ、「蒙古聯合自治政府」にまとめ上げる第一着となりました。

このはがきはそんな謀略の真っ只中に、蒙古軍に加わったと見られる日系将校が差し出したものです。アドレスは「承徳特務機関気付・張北特務機関気付・鉾田公館」で、逓送路が張北-多倫-承徳-奉天を経て日本と結ぶルートだったことを示唆しています。「鉾田公館」は蒙古軍政府に対する日本の外交代表だったのかも知れません。
posted by GANさん at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 「満洲国」 | 更新情報をチェックする
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