2014年02月09日

関東都督府郵便電信局

TOTOKUHU.jpg日露戦後、満洲の野戦郵便・電信機関は「民政化」しますが、その最初期の通常為替金受領証書(画像=クリックで拡大できます)です。最近入手しました。

明治39(1906)年9月1日以降、軍政時代の野戦郵便局と軍用電信所は新設の関東都督府郵便電信局に移管されます。名称は「関東都督府郵便電信局(所在地名)支局」と変わりました。

この証書は民政に移った最初期のものですが、発行者の名前が「関東都督府郵便電信局長」とありながら、その横に「大連」の印が押されていて、何かあいまいな匂いがします。なぜ「大連支局」としないのでしょう。

実は、この時期に「大連支局」は存在しませんでした。開局したのはこの年の12月11日のことで、それまでの70日余りは関東都督府郵便電信局本局の通信課が現業事務を扱っていました。だから、証書右上の振出日付印「大連 39.9.24 ★★★」は大連支局ではなく、通信課のものです。この印は通信課が独立してできた大連支局でもそのまま使い続けられました。

満洲の野戦局は軍政時代から全局(非公開6局を除く)で野戦郵便為替・貯金を取り扱い、為替貯金記号が与えられていました。大連にあった旧関東第1野戦局は「満は」で、この証書にも流用して表示されています。満洲ではなぜか民政化後も為替貯金専用の日付印は長いこと使われませんでした。C欄為替貯金記号印が導入されたのは、穂坂尚徳氏『在中国局の和文印』によると、大正4年6月1日のことです。

郵政事業の本庁や管理局が現業事務を行うのは異例に見えますが、事業草創期にはありがちのようでした。明治初期の駅逓寮発着課(東京局)や満洲より少し遅れて発足した樺太庁郵便電信局(コルサコフ<大泊>局→豊原局)などもそうでした。後者の場合は前身の局名「久春古丹(野戦局)」「コルサコフ(軍用通信所)」として日付印の上に表れています。

posted by GANさん at 14:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 為替・貯金 | 更新情報をチェックする
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