2014年02月10日

汽車送りされた罹災電報

TELEGRAM.jpg大正12(1923)年9月の関東大震災の「罹災電報」です。最近のオークションで入手しました。かなり痛い目に遭いましたが、緊急時の通信の発着状況がよく分かる資料と、GANは満足しています。

大地震とそれに続く大火災で無数の被災者が無一物となりました。逓信省は被災者の電報を無料とすることを決め、東京中央電信局と横浜の郵便仮受付所で9月6日から受付を始めました。11日までの6日間限りで取扱いは終わりましたが、総計で約50万通に達したといいます。

この罹災電報(画像=クリックで拡大できます)は、最終日ギリギリの9月11日午後8時に東京中電で受け付けられています。金沢局へは2日後の9月13日に到着し、C欄★の電信印と速達用ナンバリングを流用した朱印「二〇四一」が押されてただちに配達したと見られます。

実際に配達された電報なのでこれは送達紙ですが、同時に頼信紙でもあります。発信人はあり合わせの半紙に電文と宛先などを墨書し、頼信紙代わりに差し出しました。東京中電はこれを正規の頼信紙の下半部に貼り付け、「トウケウ(東京)」の朱印、「大正十二年九月拾壹日」の紫色ゴム印を押し、鉛筆で「コ八(午後8時)」と書き込んで送達紙としました。

この送達紙は自動車で田端駅に持ち込まれ、他の北陸方面電報と共に上越・北陸線回りで金沢駅まで運ばれたと考えられます。郵便物の閉嚢便と同じ送り方です。田端駅は郵便・電報送り出しの臨時ターミナルでした。東京の交通・通信機関が壊滅した中でわずか2日と非常に早く届いています。このことから、あるいは汽車でなく飛行機で名古屋または大阪に輸送されたかとも考えられますが、複雑になるので検証は省略します。

このように大変な時間と人手をかけて配達された電報ですが、電文は「ミナブジ(皆無事)」とわずか4文字。伝えたいことは山ほどもあるのに、取扱う関係者をなるべく煩わせまいと配慮したのでしょう。被災者のこの慎ましい心根は、つい最近の「3・11」震災被災者にもそのまま引き継がれ、表れているようにGANには思えます。
posted by GANさん at 00:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 関東大震災 | 更新情報をチェックする
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