2014年02月11日

逆アリバイ秘密局・大東溝

DAITOKO.jpg少し前のネットオークションに、大東溝局の着印のあるエンタイアが数点まとまって出品されました。鴨緑江右岸・中国(満洲)側河口のこの局のエンタイアは、市場でなかなか見かけません。よい機会と考え入手しました。

日中間の郵便交換協定に背いて日本が中国本土や満洲に密かに開設した「秘密局」については、収集家の間でよく知られています。逆に、実際には存在しないのにそれを秘密にし、存在するかのように装った珍しい局があります。ある時期の大東溝局がそれで、いわば「逆アリバイ秘密局」ともいうべき役割を果たしていました。

明治43(1910)年、日清間で「郵便約定」が改定され、満洲でも交換局7局が正式に追加されました。奉天や長春など他の局はすべて国際的に開市、開港された都市ですが、大東溝だけはそのどちらでもない交通不便な田舎の海港です。なぜ、そんな小局が割り込んできたのか。

日露戦争の結果、日本は鴨緑江沿いの森林資源を開発する利権をロシアから継承しました。その木材の搬出港として発展すると考えた日本側の要求で、大東溝も交換局に加えられました。しかし、木材搬出港の地位は他に奪われたようで、入港する船もまれに寂れ果ててしまいます。ついに大正10年3月26日、大東溝局は廃局されました。

この事実を中国側に通告すると、たださえ日本局の存続は認めたくない中国です。すぐにも予想される協定改正交渉で、「満洲内交換局は6局限り」と削減を主張することが明らかです。既得権を守りたい日本は、中国に対し大東溝局をすでに廃局したことは秘密にし、「一時的な閉鎖」と言いつくろいました。

大正12(1923)年実施の「日中郵便物交換約定」交渉で、中国は満洲を含む中国領土内日本局の完全撤廃を主張し、大東溝局の問題などは吹っ飛んでしまいます。ただ、日本の抵抗で満鉄付属地内の局所だけは残されました。このいきさつから、廃局から在中国局撤廃までの1年9ヵ月間、大東溝局は「逆秘密局」的な存在だったと、GANは考えます。

この封筒(画像=クリックで拡大できます)の宛先は、まさに鴨緑江の木材伐採権を行使するために設立された日中合弁の国策会社「鴨緑江採木公司」の出先です。大東溝局明治43年4月6日の着印を持ちます。郵便史はもちろんですが、日露戦争や日韓関係の歴史を調べる上でもよい資料ではないかと思います。
posted by GANさん at 13:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 満洲・関東州 | 更新情報をチェックする
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