2014年02月13日

武装移民団の軍事郵便

TIBURI-2.jpgTIBURI-1.jpg無料軍事郵便が軍人ではない民間の農業移民に適用された例です。戦前日本の農村事情や中国侵略の実態、「残留孤児」の源泉などを考える上で興味深い資料とGANは考えます。つい最近入手しました。

武力で「満州国」を作り上げた関東軍は、満ソ国境沿いへの日本人農業移民を着想します。新国家、ひいては本国・日本をソ連の攻撃から守る最前線を築く、開発と防衛との一石二鳥の狙いです。明治初年の北海道の屯田兵がヒントになったともいわれます。

拓務省が呼び掛け、退役軍人500人に軽武装させて1932(昭和7)年秋から試験的に満州国北東部の佳木斯(チャムス、ジャムス)周辺に送り出しました。「試験移民」「武装移民」「屯墾団」などとも呼ばれています。

翌33年にも第2次移民団が送られました。このはがきは佳木斯南東の湖南営に入植した第2次移民団から発信されたものです。湖南営は漢名ですが、現地満洲語では七虎力(チフリ)と呼ばれていました。移民団は入植地にこの満洲語の音を宛てて「千振(ちふり、ちぶり)」と名付けました。外国領土の現地名が日本名に改称された典型例です。

企画者でありスポンサーでもあった関東軍は、農業移民団に無料軍事郵便の恩典を与えました。軍事郵便法令には「野戦軍の司令官は(野戦局所の業務に支障のない限り)一般人にも軍事郵便の適用を認めることができる」と定められており、これが適用されたと考えられます。入植地は基本的に辺地が多く、満州国郵便の利用が困難だった事情もあります。

裏面に「昭和11年1月1日」のゴム印が押されており、年賀状です。関東軍管内の軍事郵便はこの直前、12月1日から日付印を省略するようになりました。アドレスの「佳木斯野戦局」は実際には存在せず、佳木斯軍事郵便取扱所を意味します。これより前の第2次農業移民の軍事郵便にはこの取扱所で使われた「新京中央/8」の分室用日付印が押されています。
posted by GANさん at 12:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事郵便(陸軍) | 更新情報をチェックする
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