2014年02月15日

空襲時の配達停止特例

KUSHU.jpg今から70年前の1944(昭和19)年2月17日、サイパン。開戦以来聯合艦隊最大の前進根拠地のこの環礁は、米空母艦載機の急襲を受け一挙に壊滅してしまいます。米軍は南洋群島の日本軍守備隊を次々と全滅させ、B29爆撃機の発進基地を整備して日本本土への戦略爆撃(という名の無差別大量殺戮)を始めました。「サイパン大空襲」は日本敗戦への最終章の幕開けとなります。

「本土決戦」が秒読みに迫る中、当局は45年1月17日に運輸通信省令第2号で「戦時、事変、又ハ非常災害時ノ郵便物取扱措置」を定めました。ここでいう「非常災害時」とは、「空襲を受けて大混乱に陥った時」の官僚語です。この中で(空襲時には)隣組に一括配達したり窓口交付できることにしました。史上初めての政府の信書配達責任放棄です。

ここに示す「郵便物交付証」(画像=クリックで拡大できます)は、三重県津郵便局が省令に基づいて大口利用者に渡したと見られる、窓口交付を受けるさいに示す証明書です。はがき大の厚紙を二つ折りし、「本証提示により交付されたる郵便物は正当宛所に配達したるものと看做します」と謄写版印刷されています。受取人の「岡三商店」は津市で創業した今日の岡三証券会社の前身です。

恐らく全国大都市の郵便局では、あらかじめこうした措置が取られていたのでしょう。窓口交付は局前にその旨を掲示するだけで実施できる決まりなので、文書記録としては残りません。郵便物交付証の存在はこれまで他の例を見ませんが、空襲下の郵便事情を物語る興味深い資料だとGANは考えています。

津市は45年3月以降7度もの空襲にさらされ、とくに7月28日には市街地のほとんどが焼失しています。この交付証にも出番があったかも知れません。ただ、郵便物自体に特段の表示は求められませんでした。エンタイア上での証明は難しそうです。

一方、「隣組一括配達」については、それと思われる表示をした郵便物があります。機会があれば、またご紹介したいと思います。
posted by GANさん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2次大戦混乱期 | 更新情報をチェックする
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