2014年02月17日

マカッサルの櫛型為替印

MAKASSAR.jpg
海軍の軍政担任地区だったセレベス島マカッサル局で引き受けられた電信為替振出請求書の断片です。局内で保管していた請求書を廃棄する際、切手貼付欄部分だけ業者に払い下げたのでしょう。為替料は現金でなく切手で納付されていました。

内地と南方占領地との間の郵便為替は昭和18(1943)年3月1日から取扱が始まりました。内地・南方間の書留取扱開始と同時です。為替は、当初は通常為替と小為替だけでしたが、19年5月1日からは電信為替の取扱も加わりました。

この紙片(画像=クリックで拡大できます)には海軍正刷切手で1ギルダー50セントと、農耕2.5セントのマカッサル加刷に「電信為替」と赤色で再加刷した電信為替料専用切手が貼られています。

電信為替切手には「f. 7.00」と再加刷されていますが、意味が分かりません。仮にこれが「7ギルダー」の意味と考えると、合計で8ギルダー50セント=8円50銭となり、100円超300円までの為替取組料金に相当します。

切手は「マカッサル/19.10.5/遠い」の櫛型印で抹消されています。「遠」は南西方面海軍民政府逓信局管内の局に割り振られた為替記号の頭字です。マカッサルの「い」に始まって、シンガラジャの「と」まで7局に適用されています。この櫛型印は郵便用には見られず、海軍地区の為替専用印として内地で調製されたと思われます。それにしても、なぜ「遠」なのか、GANには分かりません。「内地から遠いから」だとしたら、余りにも単純に過ぎると思うのですが。

当時の通信当局には「大東亜共栄圏」に重なる「東亜郵便連合(大東亜通信圏)」の構想がありました。「満州国」、中国から南方占領地までを日本を盟主とする郵便圏に統合して同一制度・均一料金を実施しようという考えです。ちっぽけな紙片ですが、挫折した壮大な計画の片鱗をうかがうことが出来ます。
posted by GANさん at 23:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 南方戦区 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
"f.7.00"の”f”は通貨単位"florin"のことで、guilderの別称であり、占領蘭印では日本円と等価でした。為替記号はセレベス島のマカッサル(遠い)、メナド(遠ろ)、ボルネオ島のバンジェルマシン(遠は)、バリックパパン(遠に)、ポンチャナック(遠ほ)で、後にモルッカ諸島のアンボン(遠と)が加わり合計6郵便局で使用されました(運輸通信公報第139号)。(遠へ)はありません。しかし遠は(バンジェルマシン)は公報には載っているものの、その消印は発見されていません。
Posted by Jap Occ Mania at 2014年07月09日 10:24
ご高説承りました。豊富な知識をご披露いただき、ありがとうございます。しかし、「遠と」は1944(昭和19)年7月27日貯業第794号通牒により8月1日以降はアンボン局からシンガラジャ局に変更されています。「遠へ」は通牒類が未見なだけで、例えば1943年8月27日に公衆電信取扱いを開始したマノクワリ局などに割り振られていた可能性が大いにあります。少なくとも「ありません」と断言出来る根拠こそありません。
蛇足ですが、言及された6局は1943年2月26日貯業第628号(逓信公報第4794号所載)で取扱開始当初からいずれも為替記号を指定されています。アンボン局だけ後から追加した事実はありません。ご指摘の運輸通信公報第139号(正確には、この号に掲載された貯業第450号通牒)とは、44年5月1日現在の取扱局を再録したに過ぎません。
Posted by GAN at 2014年07月09日 11:11
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