2014年02月18日

山海関I.J.P.A.とはどこ?

shanhaikwanijpa.jpg「SHANHAIKWAN(山海関)I.J.P.A.」の日付印が押された紫分銅はがきです。日付の「21.4.12」は1912(明治45)年4月21日を意味します。差出人は京奉鉄道(北京-奉天間)山海関方面を警備していた歩兵33連隊第Ⅲ大隊の兵士です。前年末からの孫文らの辛亥革命による混乱から日本の鉄道利権を守るため内地から増派されていました。

山海関局(正確には天津局山海関出張所)の日付印はSHANHAIKWAN「I.J.P.O.」でした。では、この「I.J.P.A.」はどこに開設された局所でしょうか。第Ⅲ大隊は山海関、秦皇島、湯河、昌黎、灤州に分散配置されていました。候補地は山海関以外の4ヵ所のいずれかと思われます。

これまではSHANHAIKWAN I.J.P.A.というと、山海関局灤州出張所だ、というのが通説となっていました。西野茂雄氏が『外信印ハンドブック』(1985、日本郵趣出版)でそう発表したからです。しかし、これは明らかな間違いです。

山海関自体が出張所なので、その出先も同格の出張所ということはあり得ません。そもそも「灤州出張所」などという局所は記録上で存在しません。あるのは「山海関出張所灤州出張扱」という、中国側に対して秘密に行われた定期的な郵便事務の出張取扱だけでした。

当時の逓信省の内牒を調べると、次の記録があります。
 1、明治45年3月 灤州、昌黎、湯河に山海関出張所員が定期出張し郵便取扱開始
 2、明治45年3月 山海関出張所秦皇島分室を開設
 3、明治45年7月 秦皇島分室を閉鎖し、出張取扱に切り替え
 4、明治45年7月 北戴河に出張取扱開始
 5、大正3年11月 昌黎、北戴河、湯河の出張取扱を廃止
 6、大正11年12月 山海関出張所廃止、秦皇島、灤州の出張取扱を廃止

 この記録からだと、「SHANHAIKWAN I.J.P.A.」の第1候補は秦皇島分室と言えそうです。しかし、ことはそう簡単ではなく、分室閉鎖後にも「SHANHAIKWAN I.J.P.A.」の日付印が使われた事実があります。第2候補として、灤州、昌黎、湯河の3出張取扱で同一のI.J.P.A.印を使った可能性もないわ けではありません。しかし、他局の出張取扱ではI.J.P.A.印の使用例は知られていず、使われた形跡もありません。

これまでにGANが調べて分かったことは、おおむね以上です。まあ、何から何まで全部いっぺんに知ってしまうのも面白くありません。ナゾ解きは宿題とし、今後のお楽しみに残しておくの、また良いのではないでしょうか。
posted by GANさん at 23:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 軍事行動 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
在中国局について検索していると、こちらに到達しました。
既にご承知だとは思いますが、昨年2013年12月のjapanフロア80(通算149回)に在中国局の纏まった出品があり、その中に
3455 秦皇島発書留便 ijpo(aではなく) 27.1.17 時刻入り金属印
3461 山海関発葉書 ijpa 13.8.12 時刻入りゴム印
3462 らん州発 葉書年賀状 ijpa 1.1.13 時刻入りゴム印
3463 らん州発 葉書 ijpa 26.6.12 時刻入りゴム印
以上の出品が有りましたのでお知らせします。尚、差出地の記載はオークション記事からです。
Posted by 通りすがり at 2014年04月09日 00:57
お知らせいただき、ありがとうございます。JAPAN出品物は下見もしてみましたが、所在地確定に新情報を付け加えるものではないと考え、(予算の関係もあって)手を出しませんでした。この問題は正直に言って、難しいです。未知の新資料発見に期待しています。今後とも新たな情報が見つかりましたら、ぜひお教え下さい。
Posted by GAN at 2014年04月09日 01:20
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