2014年02月20日

寛城子局吉林出張扱い初便

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この封書は最近入手しました。差出人のアドレスは「清国吉林領事館 林久治郎」と裏面に書かれています。しかし、表面(画像=クリックで拡大できます)の引受日付印は満洲・寛城子局明治40(1907)年4月25日です。

寛城子は満鉄線最北端の都市で、ロシアの東清鉄道と接続するターミナル駅でもあります。寛城子局は民政移行後最初の39年9月に開設され、1年余で移転改称して長春局となる短命局です。

吉林省の省都・吉林は在留邦人も多い都市ですが、日本局のある満鉄沿線からは距離があります。関東都督府郵便電信局は吉林領事館の開館を機に、邦人の便宜を図るとして郵便の出張取扱を計画しました。

寛城子局職員が定期的に領事館へ出張し、邦人の郵便物発受を扱って寛城子局に持ち戻るシステムです。まだ鉄道はなく、吉林への往復には馬車をチャーターしたと思われます。40年4月23日から開始されました。

貯金・為替から小包までも扱ったので、吉林の邦人には大好評だったようです。直後の6月1日からは出張取扱を「昇格」させ、領事館の一室を使って寛城子局出張所を常設しました。同時に、寛城子-吉林間の連絡も3日に1回と増便します。

この封書にはコンテンツが残っており、4月19日に書かれています。出張取扱に当たる第1便の職員は4月23日に寛城子を出発しました。吉林でこの封書を受け付けて寛城子局に持ち戻り、正式に引受印を押したのが4月25日だったと思われます。つまり、この封書は吉林での寛城子局出張取扱の初日カバーです。「出張取扱」という特殊な郵便機関の存在を示す資料として貴重だとGANは考えます。

差出人の林久治郎は外交官として高名で、後に奉天総領事やブラジル大使、太平洋戦争中は占領地ジャワの司政長官などを務めます。この時はまだ外交官試補で、領事館開設スタッフとして3月に赴任してきたばかりでした。館員だったからこそ初日便を利用する機会に恵まれたのでしょう。

外国(清国)領土内に勝手に日本の郵便機関を開設することは主権侵害に当たります。しかも、両国は明治36年に郵便権の相互尊重を前提とする「日清郵便仮約定」を結んだばかり。このため、吉林出張所の開設は清国側には秘密にされました。このような郵便機関は、俗に「秘密局」と呼ばれています。
posted by GANさん at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 満洲・関東州 | 更新情報をチェックする
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