2014年02月21日

大連汽船媒介の海軍軍郵

SHURIMARU-2.jpgSHURIMARU-1.jpg日中戦争中の1939(昭和14)年に、旅順局を肩書とする砲艦首里丸から北京海軍武官府に宛てた封書(画像=クリックで拡大できます)です。最近、この海軍将官宛ての郵便物多数がネットオークションに出品され、GANも何点か手に入れました。

海軍の軍事郵便が旅順から外国の、しかも内陸部の北京に、どういうルートで逓送されたのでしょうか。海軍の逓送路は基本的に艦船で運べる範囲だったはずです。

「旅順局気附」と発信アドレス(画像)にあり、宛先に「大連汽船会社気附」とあるので、旅順発信と考えるのが素直です。しかし、引受印「第3海軍軍用郵便所 14.10.10」の第3軍用郵便所は青島にありました。青島在泊中発信の可能性も大いにあります。

首里丸は徴用船で、支那方面艦隊第1砲艦隊の所属でした。1938(昭和13)年11月から42年まで旅順要港を根拠地として華北沿岸の警備に当たっています。この間39年11月に水雷母艦に艦種変更して第3遣支艦隊に転属しました。残念ながらその直前の所属は分かりません。ここでは、行動先の青島から発信したと推定してみます。

――この封書は青島で第3軍用郵便所が受け付けて大連汽船会社の定期船に積み、大連に運ばれた。大連汽船では表面に赤鉛筆で「天津支店」と書き入れ、やはり定期船で塘沽経由天津支店に運んだ。天津支店は天津野戦局に引き渡し、後は陸軍の軍事郵便ルートに乗って、北京の第1野戦局から海軍武官府に直接配達された――。

つまり、青島-大連-天津-北京と逓送されたのだろう、というのがGANの考えです。海軍と陸軍にまたがる逓送路を利用し、しかも中間で民間に託送するという3者連携ルートの存在が前提です。陸軍と海軍は、少なくとも上海では軍事郵便の「相互乗り入れ」を協定していた事実が分かっています。

大連汽船は大正14(1925)年に満鉄の子会社として設立され、大連-青島-上海線、大連-天津線などが主要航路でした。親会社の満鉄自体が軍部と一心同体のような国策会社です。大連汽船が軍事郵便の逓送路の一部を担ったことは大いにあり得ると思います。

「なぜ青島で陸軍の第4野戦局に引き渡さなかったのだ」という疑問には、いちおう「青島では陸海軍間の交換協定がなかったから」としておきます。しかし、振り出しに戻って「青島でなく旅順発信だった」と考えると、この疑問は防げます。ただ、その場合のルートは旅順-大連-天津-青島-北京となってしまい、もっのすご~く不合理。どなたか、我に正解をご教示あれ。
posted by GANさん at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事郵便(海軍) | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック