2014年02月26日

大連湾局記葉の発行者は?

DAIREN BAY.jpg大連湾無線電信局落成記念の絵葉書です。絵面にこの局の明治45(1912)年3月24日の極めて鮮明な紫色電信印が捨て印されています。発行者銘がありませんが、関東都督府通信管理局か、満洲逓信協会のいずれかに違いありません。

この絵葉書は、『関東逓信三十年史』(JPS復刻版)の巻頭「記念絵葉書」のグラフに2枚1組の写真が掲載されています。しかし、その後のページの「当庁(都督府の後身の関東庁=GAN注)記念絵葉書発行一覧表」には漏れています。島田健造氏『日本記念絵葉書総図鑑』は「未収」とし、後継の友岡正孝氏による再版でも採録されていません。

島田・友岡氏の調査によると、「大連湾無線電信局移転記念(大正11年)」「大連電話局自動電話交換開始記念(大正12年)」の2種の絵葉書も、『30年史』では関東庁発行としています。しかし、実際の袋には「満洲逓信協会発行」と記されており、関東庁本体の発行ではないようです。

満洲逓信協会は関東庁逓信局の外郭団体ですが、実態は内地の逓信協会と同様、「二者一体」の存在と思われます。官庁の事業としては格下だったり、収益性のある事業を代行させる責任回避先として、また、退職官僚の天下り先として、極めて便利な存在だったでしょう。『30年史』自体、完全に関東庁逓信局編集の当局本でありながら満洲逓信協会の名で発行されています。

この「落成記念」絵葉書も、「移転記念」「自動電話記念」と同様、袋には「満洲逓信協会発行」と記されている可能性があります。いずれにせよ、収集家・研究者が関東庁発行と協会発行を厳密に区別する必要があるか、主体的に判断すればよいことだと思います。協会の性格をよくわきまえた上で、の話ですが。

ところで、大連湾無線電信局ですが、庁舎落成の前年、明治44年11月19日に満洲での無線電信局第1号の海岸局(固定局)として、大孤山会沙砣子で開局しました。同時に開局した大連-上海航路の神戸丸、西京丸など中国沿岸部を航行する船舶局との交信を主務としたようです。一般公衆の無線電報も扱った可能性があります。すると、この局の消印を持つ切手が出てきてもよさそうなものですが――。
posted by GANさん at 13:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ステーショナリー | 更新情報をチェックする
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