2014年03月03日

古北口での満華通郵

NANLANPING-2.jpgNANLANPING-1.jpg大阪もの第3点目(最後)は「満州国」から中国に宛てた、いわゆる満華通郵の郵便物です。この封書は山海関ではなく、もう一つの交換地・古北口で交換されています。

満州国切手通郵12分に白塔1分を加貼した13分の書留便です(画像=クリックで拡大できます)。熱河省承徳局で康徳4(1937)年5月15日の引き受け、北平(北京)に宛てています。

この時期は日中戦争開戦の2ヵ月足らず前です。華北の北平・天津地区は混成旅団規模にまで増強された日本の支那駐屯軍の軍事征圧下にありました。

承徳を発してわずか1日後、5月16日にこの封書は古北口に着いています。裏面櫛型欧文印のNANLANPING(南灤平)とは古北口のことです。満州国は長城の南側、中国河北省の古北口に開設した税関と郵局にこの地名を創作して付けました。実際にある満州国側の町・灤平の南方、の意味です。両地はだいぶ離れてはいますが、まあ、根も葉もないウソでもありません。

この封書は古北口を出た翌17日、もう北平に着き、さらにその翌18日に宛先に配達されました。北平の2個の日付印から分かります。考え得る最高の速度で逓送されたと言えるでしょう。通郵が非常に順調に行われていたことを図らずも示しています。

ここに一つ、大きな問題があります。表面の紫色角印は中国語で「この郵便物の切手は無効なので、郵便料は当局が賠償払いした」という意味の中国・山海関転逓局(交換局)の注意表示です。すると、この封書は山海関を経由しているのか?

GANの考えでは、この封書は山海関を通っていません。4種類の日付印の跡をたどると、山海関に回る時間が存在する余地がないのです。山海関転逓局の印は中国側の古北口局で押されたものでしょう。

そもそも古北口と山海関を直結する郵便路などありませんでした。どうしても両地を結ぼうとしたら、満州国側では奉天を、中国側では北平・天津を回らなければなりません。少なくともこの封書に関する限り、あり得ないルートです。

これまで、山海関転逓局の印がある郵便物は必ず山海関で交換されたと考えられてきました。しかし、時間と経路をはっきりたどれるこのようなエンタイアが出現しました。今後、とくに熱河省発着を中心に、古北口か山海関か、交換局を再検討する必要が出てきた、とは言えそうです。
posted by GANさん at 23:04| Comment(4) | TrackBack(0) | 「満洲国」 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
以前、知人のコレクションを見ていて、古北口経由にも関わらず山海関転逓局印が押されている例があり、古北口で山海関転逓局印が使用されていたことを知りました。その後、調べたところ、だいぶ前に台湾でこのことについて発表されていることがわかりました。
Posted by cpsj at 2014年03月09日 01:33
貴重な情報をありがとうございました。こうなると、「古北口転逓局」ないし「山海関転逓局古北口分局」印が使われた事実があるのかどうか、知りたいものです。
Posted by GAN at 2014年03月09日 01:46
古北口転逓局印がごく初期に使われています。台湾の専門家の見解は、かなり早い時期に山海関転逓局印に切り替わっているとのことです。
Posted by cpsj at 2014年03月09日 02:45
再び貴重な情報をありがとうございます。懸命に探してみます。
Posted by GAN at 2014年03月09日 02:52
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