2014年03月07日

検閲で削除された米誌

WRAPPER.jpgアメリカから送られた雑誌のラッパー(郵便帯紙)の一部です。横浜局1938(昭和13)年3月1日の日付印のある付箋が貼られています(画像=クリックで拡大できます)。

このラッパーで送られたのはニューヨークタイムズ社発行の月刊誌CURRENT HISTORYで、東京の立教大学図書館司書に宛てられています。

付箋には「本誌第22頁ハ安寧秩序ヲ紊スモノト認メラレ、逓信省郵務局ニ於テ削除処分ニ付セラレタルニ付……」とあります。「安寧秩序ヲ紊ス」記事があったので、東京の本省でその部分を切り取った、と検閲実施が明記されています。この雑誌はラッパーごと横浜-東京間を往復した後に東京へ配達されたことになります。

当局が「安寧秩序ヲ紊ス」と認定した記事とはどのようなものか。CURRENT HISTORY誌は国際的な大事件や書評を主に扱っていました。タイミングからいって、1937年12月に日中戦争の中で日本軍が引き起こした南京虐殺事件の評論ではないかとGANは推測しています。

逓信省郵務局業務課が1938年4月に作成した内部文書「通信取締ニ関スル参考資料」によると、1928(昭和3)年の共産党大弾圧事件(3.15事件)をきっかけに、逓信省は外国からの「不良思想潜入防止」のため検閲を格段と強化したようです。

「外国郵便交換局及船内局ニ語学ニ精通セル者合計140名ヲ配置シ外国来書籍印刷物ニ対シ個別ニ検査セリ。不穏ノ疑アルモノヲ発見シタルトキハ本省ニ送付セシメ本省ニ於テ再審ノ上内務省ニ移送ス」とあります。この雑誌はまさにこの検閲で上げられたのでしょう。

明治憲法の下でも信書の秘密は保障され(第26条)、検閲は禁止されていました。しかし、逓信省の法解釈では、それは第1種(封書)だけに限られ、第2種(はがき)、第3種(定期刊行物)、第4種(印刷物)などはすべて検閲できると、この内部文書に記述されています。

一般に、日本で郵便検閲が開始されたのは太平洋戦争直前の1941年10月の臨時郵便取締令からだと理解されています。しかし、実際には検閲はそのずっと以前から半公然と行われていました。それを史料として明らかにするこのようなラッパーが後世に伝わるのは、極めて稀な例だと思います。

追記(2016.06.12) 『続逓信事業史』(三)「郵便」に、この件に関連した記事(pp.302-303)のあることに気が付きました。1929(昭和4)年、主要な外国郵便交換局に特別要員を配置して外国からの「不穏記事」掲載誌など印刷物の検査を開始。出版法、新聞紙法などに関連させて輸入禁止、差押え、内務省に通報などの処置をとった。1938年度に開披検査した外国来印刷物は315万個、差押えは3万3千個にのぼった、と記述されています。このラッパーの存在は、差押えまでに至らない処分も行われていたことを示しています。
posted by GANさん at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 郵便検閲 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック