2014年03月08日

野戦局が扱った民間郵便

MANILA2.jpg三菱商事大阪支社から日本軍占領下のフィリピン・マニラ市の同社支店に宛てた封書です。大阪中央局で昭和17(1942)年9月23日に引き受けられました。

太平洋戦争で南方攻略作戦が一段落すると南方総軍は占領地に軍政を布き、民間人のための行政回復に取りかかります。現地郵政機関の再建には時間がかかるとみられました。まず大都市の在留邦人や商社と日本との間の郵便に限り、42年3月27日から臨時措置として郵便が再開されました。

取扱地域はフィリピン、マライです。遅れて5月1日からスマトラ、ジャワ、北ボルネオ、6月1日からビルマも追加されました。書留など特殊扱いとしない封書とはがきに限られ、内国料金が適用されました。仏印とタイも日本軍制圧下にありましたが、独立国扱いで外国郵便のままでした。

この臨時取扱はあくまでも普通郵便なのですが、逓送方法などは軍事郵便と同じルートで扱われました。日本からの郵便物は軍事郵便交換局に集められ、陸軍の輸送船で占領地の野戦郵便所(野戦局)に運ばれます。このため、宛て先のアドレスには必ずその地にある野戦郵便所名を肩書きすることとされました。

この封書には「マニラ野戦郵便所気付」と肩書きがあり、臨時取扱を受けたことを示しています。貼られている東照宮10銭切手は当時の封書基本料金の2倍です。切手の右上に「40g」と鉛筆書きがあって、基本重量20グラムの2倍料金を支払っています。

現地の郵政復興に伴い、臨時取扱は42年9月末限りで廃止されました。この封書はその1週間前の差し出しで、臨時取扱として最末期使用例となります。以後、南方占領地との郵便に野戦郵便所は関与せず、完全な普通郵便として扱われました。ただ料金は戦後の「日本覇権」を見据え、外国郵便ではなく内国料金のまま据え置かれました。
posted by GANさん at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 南方戦区 | 更新情報をチェックする
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