2014年03月11日

開設直後のロシア旅順局

PORT ARTUR.jpgロシア紋章4Kはがきに紋章1K無加刷切手を加貼した外信料金で旅順(ポート・アーサー)ロシア局が1898(明治31)年5月15日に引き受けた国際郵便です(画像=クリックで拡大できます)。

上海のロシア局が6月6日に中継し、ドイツ・キール局に7月11日に到着しています。上海から欧州までの経路が不明ですが、薄い印影から英船でスエズを回ったようにも見えます。

TCHILINGHIRIANの「外国で使われた帝政ロシア切手」によると、ロシアは旅順占領直後の1898年3月28日にポート・アーサー局を開設しました。最初期データは98年10月5日です。このはがきはそれを5ヵ月近く更新する最古使用例となります。確かに、ハンコは開局からわずか1ヵ月半らしく、極めて鮮明に見えます。

ロシアは日清戦争後の「三国干渉」で清国に恩を売り、旅順を含む遼東半島を租借しました。旅順に軍港と要塞を整備し、鉄道をシベリアから引き込んで、極東進出への巨大軍事拠点を建設します。のど元に匕首を突きつけられた形の日本は大いに焦り、ロシアとの妥協を図りますが、結局失敗します。

ところで、極東と欧州を最短距離で結ぶ鉄道ターミナルの旅順なのに、なぜこのはがきは真逆の海上を運ばれたのか。もちろん、シベリア鉄道に接続する東清鉄道がまだ工事中だったからです。哈爾賓-旅順間の東清鉄道南部支線の営業開通は1903年1月になりました。その1年後、日本はついにロシアとの戦争に踏み切ります。

このはがきは、当の旅順から、脅威におののく日本を横目にしつつヨーロッパに運ばれていったことになります。
posted by GANさん at 23:27| Comment(2) | TrackBack(0) | ロシア極東 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Tchilinghirian & Stephenの本は古典的名著ですが、すでに発刊から50年以上過ぎていますのでだいぶデータ等も更新されています。
Ganさんの葉書に関して言えば、同一差出人の同一差出日の葉書が存在しています(4Kで適正料金)。
逓送路ですが、旅順→芝罘 Pechili号6.4→上海6.6/Parramatta号6.7→香港6.10/6.11→コロンボBrtannia号6.24→ビリンディシ7.8→陸路
と思います。なお、上海ロシア局は他の局と異なり一般的に西暦を使用しています。
Posted by cpsj at 2014年03月16日 12:03
精密な逓送路のご検証をいただき、ありがとうございます。上海を出航さえすれば後は一直線、とはいかないのですね。大変興味深く効率よい輸送が行われていたことが分かりました。
Posted by GAN at 2014年03月20日 23:28
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