2014年03月12日

「リ一七」御殿場局記番印

RI-17.jpg今日届いたネットオークションの落札品で、御殿場から東京に宛てた、記番印の押された小判はがきです(画像=クリックで拡大できます)。御殿場はKG10月24日、中継の沼津もKG印で10月25日ですが、幸い東京のN2B2印から明治11(1878)年と分かります。

東京印は「十二年」の可能性もあったので、田中寛氏のご教示を受けました。それによると、東京は12年9月30日までN2B2で、翌日からN3B2に切り替わっているそうです。

従って、12年10月26日のN2B2はあり得ず、このはがきの東京着印は「十一年」で確定できました。一発回答です。嗚呼、持つべきものは友人哉。それと、友がすぐ引っ張り出してくれた先人のデータです。両方に感謝!!

駿河国駿東郡の記番印、なかでも東海道筋からはずれた富士山麓のリ一六(佐野)、リ一七(御殿場)、リ一八(竹ノ下)、リ一九(須走)は、なかなかお目にかかれません。GANもこのはがきがやっと入手できた第1号です。

郵便として興味深いのは、御殿場から東京に向かうのに沼津を経由している点です。今でこそ御殿場-東京間は東名高速を厚木経由でひとっ走りですが、それを「逆送」して沼津で東海道に出ています。一見後戻りとも見えるこの逓送路がなぜ採用されたのか、課題です。

御殿場を出て沼津を経由しない逓送路としては、竹ノ下から足柄峠を越えて相模国関本-小田原のルート、竹ノ下から鮎沢川沿いに下って相模国松田惣領-小田原のルートが考えられます。しかし、これら「小田原ルート」を証するエンタイアを、残念ながらGANはまだ見ていません。極端な例として、小田原宛てを沼津で中継した手紙もあります。

東海道線が沼津-御殿場-松田-国府津を結んで開通するのは1889(明治22)年のことでした。以後の逓送は鉄道に搭載するので極めて分かりやすい。では、その以前は--。

沼津ルートが主流だが、小田原ルートも何らかの条件しだいで使われた、というのがGANの仮説です。その条件とは何だったのか、いま考えています。

追記(2014.03.20) その後、田中寛氏にお調べいただいた結果によると、明治10年線路図には竹ノ下から先、相模国への逓送路はなく、どん詰まりになっているそうです。御殿場から小田原方面へは直行せず、すべて大回りして沼津経由だった、が結論でした。道遠し、幻の「小田原ルート」解明、です。
posted by GANさん at 19:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 静岡県駿東郡 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
良いもの手に入れましたね。おめでとうございます。この時期、使用年の不明なエンタイヤが多いのでこのような年号が分かるものは良いですね。静岡局では、差出KB2印は、年号不明でも使用年が95%以上はわかるようになりました。
Posted by 長田 伊玖雄 at 2014年03月18日 07:14
コメント有り難うございます。大局は資料が多いから編年に有利ですね。援用して周辺の小局にも成果をお分け願えればと思います。
Posted by GAN at 2014年03月20日 23:21
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