2014年03月27日

佐世保局での戒厳地検閲

SASEBO-1.jpgSASEBO-2.jpg日露戦争の旅順攻略戦や日本海海戦などで活躍した新鋭の装甲巡洋艦「吾妻」から開戦直後に出された書状です。ネットオークションの落札品がきょう到着しました。

発信日は2月19日で、佐世保局明治37(1904)年2月22日の引受印が押されています。封筒の表面中央部に明朝体で「(佐世)保戒厳地司令官開緘」の朱印があります(画像=クリックで拡大できます)。裏面の最上部には薄い和紙が貼られており、それに押されている丸型の認印は「田邊」と読めそうです。

開戦直後の2月14日、長崎、佐世保、函館の3要塞地帯と対馬全島はロシア軍に攻撃される可能性の高い臨戦地境として戒厳が宣告されました。戒厳令が施行されると、その第14条で戒厳司令官に郵便・電報の検閲権が与えられます。

この封書は戒厳令に基づいて佐世保戒厳地の司令官が開封検閲したものと思われます。裏面に残る和紙は検閲後の封緘紙の一部で、認印は検閲者を表しているのでしょう。佐世保戒厳地司令官は、とくにそういう役職が新設されたのではなく、佐世保鎮守府司令長官の兼務とされていました。

第2艦隊に属する「吾妻」を含む聯合艦隊はこの時期、第1次旅順口攻撃を終えて次の旅順港口閉塞作戦の準備中でした。朝鮮の鎮海湾か佐世保に入港中だったと思われます。この封書はアドレス表記や引受日との関係を考え合わせると、鎮海で発信されて輸送艦などで佐世保まで運ばれた可能性が高そうです。

2月22日に佐世保局で引き受けられ、3月1日に浜松局に到着しています。6日間というのはあまりにも時間の掛かりすぎで、検閲のため数日が費やされた可能性があります。軍艦の乗員が時期作戦に関する情報を漏らさないか、警戒されたのでしょうか。

実際の検閲作業は佐世保局に「田邊」氏ら検閲官が派遣されて行ったと見られますが、詳しい実態は分かっていません。この後、海軍の検閲は郵便局に到着してからでなく、発信時にあらかじめ部隊(艦船)内で検閲するようになります。効率を考えれば当然の措置でした。そのため、海軍兵士の郵便が一般局で検閲されたのは、最初期だけに限られると思います。

戒厳地での郵便検閲は、これまで長崎局で数通知られています。長崎局以外は外国郵便交換局ではなく、検閲はなかったのではないかとも考えられていました。佐世保局で、しかも内国郵便の検閲は、これが初めてです。すると、函館局や対馬の厳原、鶏知局などではどうだったのか、興味が持たれるところです。
posted by GANさん at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 郵便検閲 | 更新情報をチェックする
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