2014年04月05日

上海の軍艦に電報を郵送?

TENNRYU-1.jpgTENNRYU-2.jpg軍艦「天竜」に宛てた年賀電報です。「満州国」の満鉄吉林駅電信取扱所で引き受けられ、呉局昭和13(1938)年1月3日の配達印があります。最近の入手品です。

呉軍港に碇泊中の「天竜」に艀を使って配達された、と考えればそれまでですが、封筒が問題です。通常の電報配達用のパラフィン窓付きではなく、郵便用の通信事務封筒が使われています。これは呉局から郵便で差し立てられ、別の局によって配達されたことを意味します。

呉局では「天竜」が港内にいると考えて配達に出たものの、いないことが分かって持ち戻り、改めて所在を調べ直した上で郵送・再配達の手続きを取ったのではないでしょうか。封筒下部に「再2271」と書かれているのは、それを表しているようです。

転送先がどこかは封筒に書かれていません。しかし、軍港を受け持つ呉局ではすべての軍艦の最新の配達局が分かっていたはずです。例えば横須賀局宛て、佐世保局宛てといった郵袋を閉嚢で仕立てていたのではないでしょうか。この電報をコンテンツとする郵便も、そういった閉嚢で転送された可能性が考えられます。

巡洋艦「天竜」は当時、支那方面艦隊司令長官が直率する第3艦隊(上海)の主力・第10戦隊の旗艦でした。電報の名宛人・藤森清一郎少将はひと月前に着任したばかりの戦隊司令官です。

この時「天竜」は実際にどこにいたのか。「海軍公報(部内限)」で調べると、呉など内地港湾にはいません。少なくとも37年12月31日-38年1月6日の間は、支那方面艦隊兼第3艦隊旗艦「出雲」などと共に「作業地」にいました。

日中戦争の真っ最中で「出雲」が常に上海に碇泊していたことから、この場合の「作業地」とは上海と思われます。すると、この電報を納めた転送郵便は、門司局なり長崎局経由中国・上海局宛てに送られたのでしょうか。電報なのに、そんな長距離を郵送することがあるのでしょうか。それとも、中国局を介在させない特殊な逓送方法があったのでしょうか。

推測に推測を重ねたので、どこかに誤りがあるかも知れません。しかし、上海(でないまでも中国港湾のどこか)にいた軍艦宛ての電報を呉局で受信してしまったことまでは確実です。さあ、この電報はどうなったか。いずれにせよ、宛先が軍艦だったから起きた、なかなか面白いケースだと思います。
posted by GANさん at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 電信・電話 | 更新情報をチェックする
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