2014年04月09日

漢口陸戦隊の軍艦郵便

HANKOW.jpg軍艦郵便は外国派遣軍艦からの発信が要件です。しかし、このはがきは軍艦でなく、海軍の陸上戦闘部隊である陸戦隊からの異色の軍艦郵便です。

漢口陸戦隊から1928(昭和3)年10月3日に発信されました。長江を下航し上海を経由した上で、10月9日に長崎局で引き受けられています。漢口-上海、上海-長崎間はいずれも日本の貨物船に搭載されたとみられます。

1926(大正15)年に中国の国民政府軍(国民革命軍、南軍)は蒋介石総司令に率いられて中国統一戦争の「北伐」を開始します。

そういった軍事情勢の流れで中国民衆の帝国主義反対運動が高揚し、翌27年3月に上海情勢が極度に緊迫しました。南京事件や漢口事件がその中で起きてしまいます。

いずれも国民革命軍や中国民衆と、日本を含む列強の中国派遣軍や居留民との間で放火・略奪や死傷事件に発展したものでした。

漢口事件は長江警備の駆逐艦から上陸中の日本水兵が多数の中国民衆に暴行された事件がきっかけでした。海軍は27年4月3日、水兵300人を陸戦隊に編成して漢口に上陸させ、中国人暴徒を鎮圧して日本居留民を救出しました。漢口陸戦隊は「居留民保護」を名目に、29年5月末まで駐屯を続けました。

このとき上海にも陸戦隊が上陸・駐屯しました。漢口とは異なり、「排日運動」を警戒して撤退しなかったため中国軍民に敵視され、1932(昭和7)年の上海事変の当事者となってしまいます。上海、漢口とも陸上に常駐を決めてからは艦艇からの抽出でなく、内地鎮守府で編成された特別陸戦隊が派遣されていました。

このはがきは陸上常駐の漢口陸戦隊から差し出されたものです。軍艦とは無関係に駐屯する特別陸戦隊員は軍艦の乗員でなく、軍艦郵便の適用は無理のように見えます。「本来は軍艦の乗員であった」ことから拡大解釈が出来たのでしょうか。

この後の上海事変で上海には第1海軍軍用郵便所が開設されます。中国派遣のすべての海軍部隊に無料軍事郵便が適用されることになり、軍艦郵便を利用する必要はなくなりました。従って陸戦隊の軍艦郵便は、漢口では1927年から29年までの2年間、上海では27年から32年までの5年間だけということになります。
posted by GANさん at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍艦郵便 | 更新情報をチェックする
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