2014年04月18日

日米開戦を突破した最終便

憲兵隊.JPG憲兵隊-2.jpg日米開戦直前の1941(昭和16)年10月31日、アメリカ・サンフランシスコの邦人から静岡県に宛てた船便による封書です。

表面に「比島憲兵隊検閲済」の紫色角印が押され、和文「大日本憲兵隊検閲済」と英文「検閲による開封検査済み」が赤色印刷された封緘紙で再封されています。近年のヤフオクでの落札品です。

日本を遠く離れた比島(フィリピン)にどうしてこの封書が行ったのか。紛来でしょうか? だとすると、日本の憲兵隊が検閲したという意味が分からない。日本軍に押収されたとしても、なぜにフィリピンで?

実はこれと受取人が同じ「兄弟エンタイア」が荻原海一氏によって、既に発表されています。同氏の「龍田丸第一次引揚船の郵便物」(「切手研究」第431号=2006年4月)を参考に、解明を試みます。

1941(昭和)年7月に日本軍が南部仏印進駐を始めると、南方侵略具体化の第一歩と見た米政府は直ちに日本資産凍結、石油禁輸の経済制裁を発動しました。日本政府は北米航路の船舶が拿捕されることを恐れて8月4日に航行中の全船に日本帰港を命じ、この航路はストップしてしまいます。米西海岸諸港には日本宛て郵便物が大量に滞留しました。

米側にも荷役拒否など対処を誤った責任があったため、米陸軍が客船プレジデント・グラントを徴用し、日本向け郵便物を輸送することになります。日本近海や中国沿岸を廻る通常ルートだと、逆に日本によって拿捕される危険があります。これを避けるため南太平洋経由のコースが採られました。ハワイかマニラで郵便物を降ろし、第三国の船などで日本に運んでもらう目算です。

プレジデント・グラントは41年11月9日にサンフランシスコを出港しました。11月16日ハワイ到着・出港後、大きく南下してオーストラリア・ニューギニア間に迂回し、12月4日に無事マニラに到着しました。郵便物は結局マニラで陸揚げされ、マニラ局で一時保管されました。

直後の12月7日(日本時間では8日)、ついに日米は開戦し、日本軍機のマニラ攻撃が始まります。プレジデント・グラントは危機一髪で12月11日にマニラを脱出し、シドニー経由で42年2月にサンフランシスコに帰り着きました。

プレジデント・グラントの次に、米海軍徴用船リパブリック(米陸軍徴用船プレジデント・ブキャナンを改名)が11月21日、やはりマニラをめざしてサンフランシスコを出航しました。フィリピン防衛強化の兵員・兵器輸送が主目的です。

リパブリックはハワイを11月29日に出帆した後、開戦を知ってフィジーに避難するなど右往左往の末、12月22日にオーストラリアのブリスベーンに入港しました。兵員などを降ろし、シドニーを経て帰航しています。リパブリックにも日本宛て郵便物が搭載されたと思われますが、目的は達せられません。結果的に、プレジデント・グラントが極東への最終便となりました。

さて、この封書ですが、通信文が残っていて、「只今の所日米間には船便はなきが、支那を廻りて手紙が米国へ来る故、御手紙下され度……」とあります。プレジデント・グラントの出航を知り、通常航路の上海経由で日本に届くと考えて発信したのでしょう。

フィリピン攻略とその後の守備を担当した第14軍参謀長が42年8月30日、陸軍次官にマニラ局保管のこれら郵便物の処理について指示を求めています。「戦前米国より日本及び支那並びに仏印向け郵便物の行嚢2,089個が留置されている」とあります。この封書もその内の1通だったに違いありません。

この回答として、9月8日に陸軍省から第14軍に「全部を東京中央局軍事郵便課に送付するよう」指示が出ています。これらの文書はいずれも防衛省防衛研究所資料にあります。アジア歴史資料センターのネット公開文書の中からGANが発掘しました。

郵便物はマニラで第14軍憲兵隊の開封検閲を受け、42年末ごろ東京に着いたのでしょう。当時の郵趣誌「切手文化」43年3月号に、「戦前米国からの手紙に赤色のセンサーラベルが貼られて本年1月に吉田一郎、荒井国太郎氏ら数人に届いた」との趣旨の豆記事が載っています。まさにこの一連の郵便物です。

戦前最後の米日間通信は開戦をはさむ1年3ヵ月がかりの難行苦行の果て、こうして配達されました。開戦を挟みながら実際に逓送が行われ、送達された点が貴重です。開戦により発送できずにとどまったり、対戦国に拿捕されて終戦を迎えたりした一般の抑留郵便物(SUSPENDED MAIL)とは異なる、珍しいケースと言えるでしょう。

アメリカは当時の日本を「侵略国家」と強く非難し、41年秋から冬にかけては和平交渉も行き詰まって開戦直前の状態でした。それでも米側が懸命に日本向け郵便物を届けようとした誠意は汲むべきでしょう。この封書は歴史の証人であるばかりでなく、日米郵便従業員の「努力証明」とも言うべき記念品だと思います。
posted by GANさん at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 2次大戦混乱期 | 更新情報をチェックする
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