2014年04月22日

名宛人は通州事件の被害者

TUNGCHOW-2.jpgTUNGCHOW-1.jpg日本から中国河北省通州に宛てた私製はがきです。名宛人不明で返戻されています。時期からみて、名宛人は日中開戦直後に起きた「通州事件」の被害者だとGANは見ています。近年の入手品です。

1937(昭和12)年7月29日、通州に政庁を置く日本の傀儡政権・冀東防共自治政府の保安隊が中国側に「寝返って」反乱を起こし、日本軍守備隊と居留民数百人を虐殺しました。前日の日本軍機による保安隊兵舎誤爆が直接のきっかけとされます。日本世論は激昂し、日中戦争が泥沼に陥る最初の一つのきっかけとなりました。

このはがきは神奈川県国府津局で昭和12年7月28日に引き受けられた暑中見舞状です。通県(通州の別称)局の付箋に1937年9月1日の日付印が押されて差出人に戻されています。付箋には「査此人不在/無法投逓退」の黒印があります。「名宛人尋ネ当ラズ/配達不能ニ依リ返戻」といった意味でしょう。

ここでは画像を示していませんが、裏面に北平(北京)局の民国26(1937)年9月9日の朱色日付印が薄く押されています。表面左側の下半部に同色で薄く「UNKNOWN」「REBUT」印があります。北京の郵政管理局で再確認した後、改めて日本に返送されたのでしょう。

はがきが発信された7月28日は通州事件が起きる前日に当たります。通県局に達した8月上旬、通州市中は多くの日本軍警が入り込んで捜索・追及で大騒ぎの真っ只中だったはずです。ようやく一段落した月末に配達人が行ってみると、宛先の家は焼け落ちて跡形もなく、居住者全員が殺されていたといった状況だったのでしょう。

--ここはGANの推測に過ぎませんが、まず当たっているでしょう。反乱の保安隊は「友軍」だった日本軍守備隊を急襲して全滅させた後、日本人居留民の全戸を襲撃して放火、略奪、殺戮の限りを尽くしたとされますから。単なる付箋に過ぎませんが、受け取られなかった被害者の悔しさを語りかけているようにも見えます。
posted by GANさん at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国戦区 | 更新情報をチェックする
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