2014年04月29日

支那駐屯軍軍用郵便所

CGA-1.jpg日中戦争直前に開設された支那駐屯軍軍用郵便所が引き受けた軍事郵便為替の為替金受領書です。今日到着したヤフオクの落札品です。

軍事郵便為替は、普通の郵便為替とは異なり、依頼人には為替証書を渡しません。その代わりにこのような受領書を渡します。野戦局からの通知を受けて内地の貯金局(貯金支局)が為替証書を発行し、為替受取人に書留郵便で送るシステムです。

この郵便所は1937(昭和12)年4月1日に中国・天津の日本租界はずれにあった支那駐屯軍海光寺兵営内で開設されました。業務は野戦局とほぼ同じですが、野戦局ではありません。

日中間に戦争や事変はまだ起きていないので野戦局を設けられません。中国側に対して秘密裏に軍事専用の「日本天津局」を再度開設したのです。「軍用郵便所」はそのためにひねり出された、この1局のためだけの名称で、他に例がありません。

開設からわずか3ヵ月で日中戦争が起こると、郵便所は兵営を出て日本租界中心部・旭街の旧中国局舎を占拠し、一般邦人の郵便も扱いました。この段階で、1922年末の撤退まで存続した日本天津局と全く同じ性格となりました。この為替の日付10月18日は旭街に移転後なので、兵士でなく民間人が依頼した可能性もあります。

CGA-2.jpgCGA-3.jpg戦争が長期化し、支那駐屯軍が第1軍に改編される中で、この軍用郵便所も正規の「天津野戦局」に改編されました。地名の野戦局は日中戦争-太平洋戦争期を通じて唯一です。改編(改称)時期は翌38年10月と見られます。

両者の為替貯金記号は同じ「戦はろ」が使われ、同一局所の継承関係であることが分かります。
posted by GANさん at 23:24| Comment(6) | TrackBack(0) | 為替・貯金 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>「軍用郵便所」はそのためにひねり出された、この1局のためだけの名称で、他に例がありません。
とありますが、それは陸軍だけではないでしょうか?
海軍の場合「海軍軍用郵便所」というものが存在するようです。
Posted by higrik at 2015年05月24日 12:24
ご指摘のとおり、とも言えます。しかし、「海軍軍用郵便所」はこの7文字で一個の普通名詞です。それに対して支那駐屯軍軍用郵便所では「軍用郵便所」という5文字の普通名詞なので、やはりこの1局だけ、というのがGANの考えだったのですが……。屁理屈に聞こえるかも知れないので、「陸軍ではこの1局のためだけ」と訂正した方がフェアですね。ただ、「陸軍当局はどうしても野戦局とは言えなかった」という文意をつかんで頂ければ幸いです。
Posted by GAN at 2015年05月27日 00:46
少し軍事郵便為替のことを調べているのですが、たまたま(というか必然的に)こちらのサイトに行きつきました。ご教示頂きたいのですが、戦時郵便為替というのは、制度的に送金額に上限があったのでしょうか。
Posted by satoponda at 2019年09月11日 06:20
satopondaさんのご質問に「戦時郵便為替」とありますが、文意により「軍事郵便為替」と解釈してお返事いたします。

軍事郵便為替に関する取扱規則は、明治37年2月に逓信省令第7号で定められた「軍事郵便為替貯金規則」が1945年の敗戦時まで基本的に有効だったようです。この規則第5条は「軍事郵便為替ハ証書1枚ノ金額ニ制限ヲ付セス」と規定しています。従って、上限はなかったと思います。
Posted by GAN at 2019年09月11日 10:39
早速の返事、ありがとうございます。私の手元に図書館で借りてきた「郵政百年史資料(16)郵便為替沿革史料他」と言う本があり、それを参照した限り、金額に上限はないと考えるのが妥当だと思いつつも、素人の悲しさで、ホントにこの解釈でいいのかと不安になったので、お尋ねさせて頂いた次第です。

私がこの「上限金額」に対する興味は、戦争末期の南方軍票や中国の儲備券のように、日本内地と価値が異なる場合、為替送金をして差額で儲けた人は、兵隊さんの中に実際にいるのかと言う疑問を持ったことから出ているのですが、いろいろとサイト内の記事を読んでいると、面白くなってしまって、とりあえずはどうでもよくなってしまいました。

また、少しくらい知識を蓄えて、改めてお尋ねさせて頂くこともあるかと。ありがとうございました。
Posted by satoponda at 2019年09月11日 21:57
戦時中に外地や占領地で円建ての貯金や為替送金をした場合、日本内地で額面通りの日銀券を受け取ることができたかは、私も関心のあるテーマですが、まだ深くは調べておりません。野戦局所で軍票や現地通貨などを受け入れる際に換算率の操作や制限などが行われたようです。日本敗戦後の復員・引き揚げ問題に限って言うなら、政府は水際の上陸地で現金や貯金通帳を強制的に預かり、1946年2月の預金封鎖・新円切替の中で事実上無価値にしてしまったのではないかと思います。ただ、この「強制預かり」政策も不安定で、持ち込みを制限付きで認めたり全面的に認めるなど変動があるようです。
Posted by GAN at 2019年09月11日 23:26
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