2014年04月30日

ボールドウイン飛行大会

BORDWIN-1.jpg1911(明治44)年に日本各地で興行した米ボールドウイン飛行団関連の絵はがきです。日野熊蔵・徳川好敏両大尉の日本人初飛行から3ヵ月。この興業は、一般の日本人が初めて見る飛行、初の「航空ショー」でした。

『日本航空史 明治・大正編』によると、飛行団は、ボールドウイン団長が操縦士2人、複葉機2機を率いて興業的なサーカス飛行を見せるチームだったようです。

フィリピン巡業を終え帰国の途中、乗船が神戸に寄港したところをたまたま大阪朝日新聞記者が取材したことがきっかけでした。同社が謝礼金1万円を提示して日本での飛行会開催を持ちかけました。

BORDWIN-2.jpg1911年3月12日、大阪朝日新聞社が主催して大阪城東練兵場を会場に、飛行会を無料で公開しました。関東や九州からも含め40万人もの見物客が集まり、大阪市空前の大イベントとなったといいます。

これにプロの興行師が飛び付きました。飛行団は5月上旬までに、西宮、東京、京都、名古屋、川崎など各地を回って有料の飛行会を開きます。いずれも大盛況で、飛行団はひと儲けできました。「日本人は大変な飛行機好き」。以後、欧米飛行家の来日ラッシュにつながります。

この絵はがきの差出人は金沢の学生でしょうか。京都に帰省中の4月8、9両日に島原競馬場で開かれたマース操縦士によるショーを見物しました。金沢に帰った4月12日に三重県白子の友人に飛行会の感想を伝えています。

絵はがきは島原の飛行会場で求めたのでしょうが、裏面の「複葉飛行機/飛行大会紀念」スタンプの日付「44.4.1.」は東京の目黒競馬場での飛行会初日です。このスタンプは私印ですが、日本初の飛行記念スタンプとなるかも知れません。

「トンボの如き飛行機が頭上を飛んでゆくのを見て玉消えた(魂消た)。見ていてさえ愉快壮快、飛乗りて天上をかけたらば……」と日本人が初めて見る飛行ぶりに素直に感動、共感しています。

翌年のアトウォーターが芝浦-横浜という2地点間を飛行したのとは異なり、飛行団はいずれも会場内でのショーでした。貨物運送の手段という発想がまだなかったのでしょう。せっかく興行師もついたのに、飛行団の郵便飛行は残念ながら行われませんでした。
posted by GANさん at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 飛行・航空郵便 | 更新情報をチェックする
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