2014年05月06日

軍用航空で民間便も運ぶ

SHANGHAI-AIR.jpg日本軍占領下の上海から大阪宛ての航空郵便です。香港版長城航空90分切手1枚貼りで、上海局1938(昭和13)年9月9日引き受け、大阪・大正局に3日後の12日に到着しています。

日中戦争以前、日本と華中との間の定期航空路は未開設でした。日本航空輸送会社(後に大日本航空会社に改組)が福岡-上海-南京間に定期航空路を初めて開設したのは38年10月5日のことで、10月11日から航空郵便の取扱も開始されました。

つまり、数回の試験飛行を除けば、38年10月以前には九州から東シナ海を越えて上海に達する定期航空路はありませんでした。山口修氏「航空郵便沿革史」(『郵政事業史論集』第1集)にも、成田弘氏『日本の航空郵便』にも、そう書かれています。

すると、それより1ヵ月早いこの封書はどのキャリア(航空会社)が、何を根拠にして逓送したのでしょうか。結論から先に言ってしまうと、これは福岡-上海間の陸軍軍用定期航空に搭載されたと考えられます。GANの調査で分かってきたことです。

『日本航空史 昭和前期編』によると、陸軍は日本航空輸送会社に命じ、同社の機材(ダグラスDC-2型)を使って1937年10月2日から福岡-上海間の軍用定期航空を開始させました。日中戦争下で民間航空会社は機体を操縦士ごと軍に徴用されていったようです。空路は翌年さらに南京、杭州へ延伸されます。

この軍用定期を利用して、38年2月1日からは私用でも軍事航空郵便が利用できるようになりました。公用の軍事航空郵便は定期航空と同時に開始されたと考えられます。記録は未見ですが、さらに38年3月5日から軍事郵便に限らず、一般民間人の航空郵便もこの軍用定期航空に搭載され始めました。

村田守保氏「昭和初期における航空郵便初飛行便リスト」(切手研究会『戦前の航空郵便』所収)が根拠です。これに、「昭和13年3月5日 上海-東京間定期航空開始(上海3.5→東京3.8 実逓便)」と1行だけの記述があります。村田氏はこの初飛行カバーを実際に作成し、そのデータを記録したと考えられます。こちらも3日で到着しています。

この当時、上海への空路は民間では存在しません。軍用定期しか飛んでいませんでした。「貨物室ニ余裕アル場合ニ限リ」として、こういった民間郵便も積んだのでしょう。また、村田氏が初飛行カバーを作成できたことは、当局から一般に対し何らかの告知があったことを示唆します。

この封筒は上海からの到着便ですが、日本内地への航空郵便路の開設は在留邦人に知らされていたのでしょう。この間の航空料金の設定、日本の傀儡政権・中華民国維新政府(南京)との交渉はどうしたのか。多くの課題が未解決のまま残されています。
posted by GANさん at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国戦区 | 更新情報をチェックする
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