2014年05月16日

会屯郵便取扱所の書留便

SUISHI-EI.jpg関東州の水師営郵便取扱所で引き受けた書留郵便です。40年ぐらい前、この宛先への郵便物が蔵出し品として市中に大量に出回ったときに入手しました。

満洲逓信協会編『関東逓信30年史』によると、関東逓信局は大正13(1924)年2月1日から管内の満鉄停車場と会屯145ヵ所に郵便取扱所を開設しました。停車場取扱所は駅職員、会屯取扱所は中国人の会長に取扱を委嘱し、逓信職員は配置せずに済ませました。

会屯の「屯」は日本で言う「村」に相当する集落を指すようです。「会」は屯を複数併せたこの地方独自の行政組織で、日本の郡と村の中間ほどの規模といいます。明治初期に多かった「A村・B村連合戸長役場」といった感じではないでしょうか。

当時の関東州では旅順、大連、金州など8局が鉄道沿線に開設されていましたが、集配区域は都市部と近郊に限られ、それ以外の農村部会屯は「市外無集配区」の扱いでした。会屯でも集配を行うため、8局の管轄下に計74取扱所が一挙に開設されました。

当初、「取集」は普通郵便だけを受け付け、「配達」は取扱所に30日間留置して受取人が申し出たら交付するという非常に原始的な方法でした。この時代の郵便取扱所では引受日付印は使わず、集配局で押していたと見られます。

恐らく昭和10年代の中頃と思われますが、一部の会屯取扱所で書留や為替貯金を扱うようになり、普通郵便の引受にも取扱所独自の日付印が使われました。その開始時期がいつか、GANはまだ資料を得ていません。1945(昭和20)年の段階で19取扱所が為替貯金を扱っていたことが分かっています。

SUISHI-EI-2.pngさて、この封筒ですが、昭和17年12月25日に水師営取扱所で引き受けられています。所名の「水師営」は日露戦争時、乃木将軍とロシア旅順要塞の守将ステッセルとの会見で知られる有名な集落です。日付印はA欄に取扱所名「水師営」、D欄に所轄集配局名「旅順」が入った特異な形式です。

差出人は日本人ですが、会屯地区に住む日本人は極めて稀な存在だったといわれます。今日の郵趣市場で会屯郵便取扱所の郵便物の出現が極めて稀なのも、そのためと思われます。

追記(2014.06.17) これを書いた時点で資料が出てこなかったため、書留の引受や為替貯金の取扱を始めた時期を「昭和10年代の中頃」としましたが、その後、資料が見つかりました。営城子、水師営、南関嶺など14取扱所で昭和16(1941)年10月16日からです。独自の日付印使用開始もこの時からと見られます。『続逓信事業史資料拾遺第1集 旧外地における逓信事情』の「関東州の部」有川博基手記中にありました。
posted by GANさん at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 満洲・関東州 | 更新情報をチェックする
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