2014年05月20日

第1次郵政接収の使用例

REQUISIT-2.jpgREQUISIT-1.jpg「満州国」が建国された年、大同元(1932=昭和7)年春に日本に宛てたはがきです。中華郵政の帆船1分「限吉黒貼用」加刷切手ペア貼りを中華郵政のバイリンガル印で抹消しています。

「満州国」は中華民国から分離・独立した新国家として、建国1ヵ月後の32年4月1日に領土(東北3省)内の中華郵政を接収しました。

とはいっても、新国家には郵政を引き継ぐ実力はまったくありません。実際にはヨーロッパ人の郵政管理局長に接収書を手渡しただけ。職員も取扱規定も、郵便切手や日付印まで中華郵政のものをそのまま流用して済ませました。

ただ、日付印に中華民国年号(21年)は使わせず、西暦(32年)を使うよう指示したようですが、これも守られていません。この時期の実際のエンタイアは、むしろ「廿一」の方が多く見られます。

このはがきは、天津の支那駐屯軍の下士官が現地除隊して「満州国」の警察官に再就職した、その挨拶状のようです。長春局で1932年7月16日に引き受けられました。年活字には西暦の「32」が使われています。バイリンガル印なので接収とは関係なく「32」年活字を使っていたのでしょう。

このはがきからわずか10日後、「満州国」の郵政事業は大転回を遂げます。8月1日発行予定の新切手の使用をめぐって満・華両郵政当局は7月下旬に決定的に破局し、「満州国」は本格的な郵政接収(第2次接収)を行いました。これに対し4月の接収は「第1次接収」と呼ばれます。

中華郵政は7月24日限りで全職員を本土に引き揚げ、東北3省内の郵務を完全停止させます。「満州国」はただちに全局に日系職員を配置し、26日から業務を再開させました。執政溥儀や遼陽の白塔を描いた第1次普通切手はこの日に発売されました。

第1次接収から第2次接収まで4ヵ月足らずの期間は過渡期の郵政です。新国家「満洲国」が元の中華民国郵政の管理下にあり続けたことから、さまざまな使用例が生まれています。
posted by GANさん at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 「満洲国」 | 更新情報をチェックする
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