2014年05月23日

インパール作戦を予告

IMPHAL-2.jpgIMPHAL-1.jpg太平洋戦史でも最も大量の犠牲者を出した愚劣で悲惨な作戦として知られるインパール作戦に参加した兵士からの「作戦予告」の軍事郵便です。ヤフオクの落札品で本日到着しました。

インパール作戦とは、抗戦中国への「援蒋空輸ルート」根絶を目指し、インド東北部に進攻して要衝インパールを攻略する作戦です。ビルマ第15軍隷下の3個師団で44年3月8日に作戦を開始、大失敗に終わって7月3日に中止命令が出されました。

このはがきの発信アドレス「弓第6822部隊」は、15軍に属する第33師団213聯隊を表します。部隊は南方から真っ先に攻撃する「おとり」役でした。英軍を引き付けている間に他の2師団が山岳地帯を密行して北と東からインパールを急襲する作戦です。

通信文末尾に太平洋戦期の軍事郵便としては珍しく、「(1944=昭和19年)2月20日」と発信日が明記されています。この時期にはすでに作戦展開命令が出ていて、33師団は作戦発起点のチンドウィン河岸に着き、渡河準備の最中だったと見られます。

非常に稀なことですが、通信文にこの作戦が予告されています。「次のたよりはインパールからだ。印度(インド)派遣軍となるだらう」。通常なら次期作戦など書いたら絶対に検閲を通りません。日本に着く頃には作戦は終わっているとでも考えたのでしょうか。

33師団は勇戦してインパール南方10キロに迫りますが補給が途絶して英軍に撃退され、アラカン山脈を敗走します。作戦全体で10万の将兵が参加しましたが、5万人を飢餓などで失い、生存者も病気と飢餓で半死半生の全軍壊滅状態で敗戦を迎えました。
posted by GANさん at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事郵便(陸軍) | 更新情報をチェックする
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