2014年05月24日

アッツ島兵士の貯金通帳

ATTU-2.jpg北部軍に召集され、北海守備隊に配属されてアリューシャン列島の米領アッツ島に派遣された兵士の貯金通帳です。

預金者の住所は「北部第16部隊」で、弘前の歩兵52聯隊です。しかし、部隊は前年から北部満洲の愛琿に駐屯しており、アリューシャンとは終始無縁でした。

この預金者は52聯隊の補充部隊にいったん編入された後、何らかの事情で本隊とは別の部隊に再編されたのでしょう。そのため、運命が分かれてアリューシャンに向かったと思われます。52聯隊は後に九州の防衛に転じたため、無傷で復員しています。

恐らく兵舎所在地と思われる弘前・富田局で昭和17(1942)年8月8日に通帳の交付を受け、最初の預入れをしています。通帳は軍事郵便貯金用ではなく、仙台貯金支局が管理する一般の普通貯金通帳が使われています。

次は函館局柏原分室で17年12月24日に預入れています。この分室の実際の所在地は千島列島北端の幌莚(ほろむしろ、パラムシル)島柏原湾でした。カムチャツカ半島は占守(しむしゅ)島を隔てて目と鼻の先で、アリューシャン列島へ向かう最後の港湾として利用されました。

3番目の局が第381野戦局で、18年3月27日と5月2日に預入れています。以後の利用はありません。381局はアッツ島に設けられ、キスカ島の380局と共に18年2月1日に開局しています。弘前で召集された兵士がアリューシャンに派遣され、北千島を経由して着任したことが預入れ記録から跡付けられます。

第380、381局は前年11月にキスカ、アッツ両島に配置された北海守備隊のための野戦局でした。それ以前のアリューシャンに野戦局はなく、陸軍部隊は海軍の軍用郵便所を利用していました。両局とも軍事郵便のほか為替、貯金の取り扱いもしました。アッツ381局の為替貯金記号は「戦るれ」が使われています。

最後の預入れがあった日から10日後の5月12日に米軍がアッツに上陸を開始しました。アッツ守備隊は5月30日に隊長以下、非戦闘員の野戦局員まで全滅してしまいます。軍部は「玉砕」と呼んでこれを美化しました。

この米軍上陸直前の5月4日、伊号第7潜水艦が米軍の重囲をかいくぐって奇跡的にアッツに入港してきました。郵便物を積み込んで5月8日に柏原に帰港しています。もちろん、これがアッツからの最終便となりました。

可能性として、持ち主の兵士が大事な通帳を最終便に乗せて家族の元に送ったとも考えられます。孤立無援のアッツに4月末から米軍の艦砲射撃が激しくなり、米軍が近く来襲することは予期されていました。「兵士死して通帳残る」だったのでしょうか。
posted by GANさん at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 為替・貯金 | 更新情報をチェックする
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