2014年05月26日

交換船帝亜丸の俘虜郵便

TEIAMARU-1.jpgTEIAMARU-2.jpg太平洋戦争中の日米交換船「帝亜丸」によって運ばれた俘虜郵便です。「俘虜郵便」War Prisoner's Mailというより、「抑留者郵便」Civil Internee's Mailと呼ぶほうが正確な通信です。

太平洋戦争中、日本と連合国との間でスイスを介して交渉が行われ、外交官や抑留者、郵便物の正式な交換船が2回運航されました。1942(昭和17)年6月の浅間丸とコンテ・ヴェルデ号、そして43年9月の帝亜丸です。

帝亜丸はサイゴンに係留中だったフランス海軍の仮装巡洋艦「アラミス」を日本政府が仏印政府と交渉して徴用した船です。政府の委託を受けて日本郵船が運行していました。

交換船帝亜丸は43年9月13日に横浜を出港し、上海、香港、フィリピン・サンフェルナンド、サイゴンを経て10月15日にインド西海岸にある中立国ポルトガル領のゴアに入港しました。米国交換船のスウェーデン籍「グリップスホルム」と抑留者などを交換し、10月21日にゴアを出て11月14日、無事横浜に帰っています。

外務省の在敵国居留民関係事務室が43年8月14日に発した通牒「俘虜郵便等ノ交換船ニ依ル逓送ニ関スル件」(居普通合第605号)が残されています。第2次交換船は英国からの提議を受けて実施され、主要な目的は日本権内にある英米系国民の俘虜郵便と赤十字通信を連合国側に引き渡すことでした。

このため、中国の青島、芝罘、上海、南京に日本側が設けた集団生活所(比較的緩やかな民間人抑留所)の英米系市民の通信をできるだけ多く集め、上海総領事館で取りまとめて帝亜丸に搭載されました。もちろん、見返りに両国で俘虜となっている日本人の通信を受け取る期待があってのことです。

この封書は上海の閘北集団生活所にいたカナダ女性が解放されて帝亜丸でゴアに着き、集団生活所に残った夫と思われる英国人に宛てたものです。日本郵船のマークのある洋封筒が使われ、「ゴア、帝亜丸船上で」と発信アドレスが記されています。

帰航する帝亜丸に積まれて横浜に着き、11月15日に横浜局で引き受けられて検閲を受けています。裏面の封緘紙に押された「逓信省/第二」の検閲印は横浜を示します。表裏にある「PAQUEBOT/船内郵便」「俘虜郵便」「帝亜丸」の各印は、色が日付印と同じ暗黒紫色なので、横浜局で押されたと見られます。

検閲通過後の封書は翌44年に上海に送られ、2月18日と3月4日の2度にわたって閘北集団生活所当局の検閲を受けました。その後にようやく名宛人に届いたと思われ、発信から4ヵ月半もかかっています。

とは言え、第2次大戦中の日本と連合国間の通信は実質的に断絶していました。交換船による郵便物は極めて希少な存在です。
posted by GANさん at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 俘虜郵便 | 更新情報をチェックする
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