2014年05月28日

最初の朝鮮駐屯日本軍

KEIJO-1.JPGKEIJO-2.jpg日清・日露戦間期に朝鮮(韓国)に駐屯した日本軍兵士が漢城(日本人のいう「京城」、現在のソウル)から発信した封書です。

日本は日清戦争が終わった1895(明治28)年以後も、本来は撤兵すべき軍隊の一部を朝鮮に残留させました。

戦争中に架設した軍用電信線と居留日本人の保護が名目です。将来、朝鮮を日本の保護国とする遠大な狙いが秘められていました。

朝鮮駐劄軍司令部編『朝鮮駐劄軍歴史』によると、部隊は歩兵1個大隊を主力に、電信隊、憲兵隊、病院がありました。歩兵大隊本部と2個中隊、病院を漢城に置き、釜山、元山に各歩兵1個中隊が派遣されました。

翌96年5月に朝鮮支配を強めていたロシアとの間で交わした「小村・ウェーバー覚書」で、これら日本軍部隊の朝鮮駐屯が追認されました。当の朝鮮政府は知らない、帝国主義国間の頭越しの「談合」です。

1903(明治36)年12月、漢城に韓国駐劄隊司令部が設置され、各部隊を統一指揮することになります。間近に迫った日露開戦をにらんでの布石でした。事実、駐劄隊は開戦直後に日本からの臨時派遣隊と合流して漢城を占領し、日本軍展開の基礎を固めます。以後、韓国駐劄軍、朝鮮駐劄軍、朝鮮軍と改称され、1945年の日本敗戦まで存続しました。

この封書は菊3銭を貼った有料の普通便として、韓国・京城局で明治34(1901)年8月13日に引き受けられています。差出人は京城駐劄隊(第1中隊)の兵士です。当時の韓国は独立帝国ですから、この京城局は日本の在外局の性格です。

韓国駐劄隊はその前身の歩兵大隊から通算して8年間続き、平時の外国に継続して駐屯した最初の日本軍部隊となりました。日本が朝鮮を植民地支配する前史として、この封筒は重要な意義を持つ史料と考えています。
posted by GANさん at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事行動 | 更新情報をチェックする
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