2014年06月03日

日満貼り替え航空カバー

MIX-FRAN-1.jpgMIX-FRAN-2.jpg「満州国」建国後、満鉄付属地日本局から「満州国」内に宛てた航空書状です。日本切手と同額の「満州国」切手が貼られています。

在中国日本局から中国国内に差し立てる郵便物は中国切手で料金納付しなければなりませんでした。日中間で1910(明治43)年に結ばれた日清郵便約定による規定です。そのため、日本局は引き受けた郵便物に、用意した同額の中国切手をいちいち貼っていました。「貼り替え」と呼ばれます。

20年以上が過ぎ、「満州国」に変わってからも、日満間ではこの約定を適用して切手の貼り替えを続けました。「満州国」は中国に対する条約・協定を引き継ぐ、という政策からです。

この書状は、書状3銭+航空15銭の料金を芦ノ湖航空18銭切手で1枚貼りし、奉天日本局が昭和9(1934)年5月23日に引き受けています。奉天から新京に満鉄線で運ばれた後、新京日本局が「満州国」白塔切手3枚計18銭に貼り替え、中継印を押して「満州国」の新京頭道溝局との間で交換しました。

頭道溝局では「満州国」切手を康徳元年=1934年の丸二型印で抹消し、満洲航空に引き渡しました。発信された5月23日中にここまですべてが行われています。この書状は翌24日の満洲航空機に搭載されて新京から哈爾賓に飛び、哈爾賓局がその日の内に配達しました。

日本と傀儡国家との関係で、こんなに煩瑣な貼り替え手続きなど本来は無用です。しかし、「満州国」はアイデンティティーを示したかったのです。中国と無関係の新たな第3国ではなく、あくまでも中国の一部の分離国家なのだと。そのための「痩せ我慢」の措置でした。

やがて既成事実が積み重ねられ、そんな建て前さえ必要なくなります。満州帝国郵政総局編『満州国郵政事業概要』によると、1935(昭和10)年11月26日に締結された日満郵便条約により、この貼り替えは廃止されました。

ただし、荒井国太郎氏は別の主張をしています。それより先、「満州国」皇帝溥儀の訪日を記念して35年4月2日に廃止された、しかし公表されなかった、といいます(例えば「南満州郵政史抄」=『郵趣手帖』第5号所載)。

GANはこれを、35年4月に実務上で廃止され、約8ヵ月後の郵便条約でそれが正式に追認されたと理解しています。従って、35年4月-11月の間の日満貼り替え郵便物は、恐らく存在しないでしょう。
posted by GANさん at 23:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 「満洲国」 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
GAN様
いつも楽しく拝見しています。
今回の混貼り貴重な品物のようですが満洲切手4分に薄く見える赤色の流れは何でしょう。
加刷でもされたように見えますが。
Posted by アラベスク at 2014年06月04日 11:14
これは私も気になっていたところですが、他の書類の赤色水性スタンプのインクが湿気などで移ったように見えます。画像のクリックを繰り返すと16倍程度の精細画像が見られますので、ご確認願えたらと思います。
Posted by GAN at 2014年06月04日 13:27
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