2014年06月06日

南洋発売の立太子礼記念

PONAPE-2.JPGPONAPE.jpg日本海軍占領下の南洋群島ポナペから発信された普通郵便です。2倍重量便として6銭分の切手が貼られています。中で1枚、大正5(1916)年11月3日発行の立太子礼記念3銭切手が目立ちます。

この封書は田沢1銭と2銭、大正立太子礼記念3銭を貼って大正5(1916)年11月18日に発信、ポナペ艦船郵便所で6日後の11月24日に引き受けられています。

この日が内地に向かう郵便船の寄港日だったのでしょう。東京には12月11日と効率よく到着しています。

差出人は南洋貿易ポナペ支店の女性従業員(あるいは従業員の妻)のようです。旅行者と違い、内地からの記念切手の持ち込み使用とは見えません。「海軍の野戦局」である艦船郵便所などで、いったい記念切手を発売したものでしょうか。

ごく少量ですが、この記念切手を艦船郵便所で正式に発売した記録が防衛省防衛研究所の保管資料中に残っています。逓信省通信局長発首席艦船郵便吏宛ての「立太子礼記念切手及特殊通信日附印等交付ノ件」(大正5年9月20日、秘第1634号)がそれです。

1.5銭切手と3銭切手を各1千枚、10銭切手(いわゆる「冠」)3百枚を南洋の陸上8ヵ所、船内3ヵ所の計11郵便所で内地と同時発売することなどを指示しています。ただし、10銭切手は配給取り止めになったようで、事後の記録では触れられていません。

臨時南洋群島防備隊の海軍軍人や海軍文官は無料軍事郵便が利用できました。このころようやく進出が始まった商店や鉱山の従業員などの民間人が記念切手の売り捌き対象だったようです。いずれにせよ、少数でしかありません。

南洋の陸上郵便所の中でもポナペは小局だったので、割当量は恐らく数十枚しかなかったでしょう。この記念切手は極めて「貴重品」だったはずです。この封筒に記念切手の2枚貼りのような「贅沢」使用をしていないのは、そのためだったかも知れません。

やはり防衛研究所保管の『大正4年乃至11年海軍軍用郵便記録』によると、このほかにも南洋の艦船郵便所・海軍軍用郵便所で記念切手や逓信省記念絵葉書が発売されています。大正大礼(1915年11月)を最初に、平和(1919年7月)、国勢調査(1920年10月)、通信事業50年(1921年4月)の4回でした。

記念切手の発売枚数はいずれも1千-2千枚程度と少量です。郵趣家便を含めても、これらの実逓カバーを目にする機会は、そう多くありません。
posted by GANさん at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 植民地 | 更新情報をチェックする
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