2014年06月07日

皇太子訪欧御召艦「香取」

KATORI-f3fc7.jpg1921(大正10)年に皇太子(後の昭和天皇)が欧州訪問したさいの乗艦・戦艦「香取」からの軍艦郵便です。英国ポーツマス軍港に寄港中ですが、万国郵便連合(UPU)の条約で認められた軍艦の特権で、分銅はがきの内国料金で日本に届いています。

皇太子は21年3月から半年にわたって英、仏、伊、ベルギー、オランダの5カ国を歴訪しました。昨日のブログで南洋の艦船郵便所が発売した立太子礼記念切手を扱いました。偶然ですが今回の主人公も同じ人物、裕仁親王です。

皇太子外遊は元老山県有朋の熱心な勧奨による帝王学の一環とされます。大正天皇が長期の闘病中だったことや皇太子妃候補の家系の色盲が発端の「宮中某重大事件」などで外遊自体が政治問題化した中での決行でした。

御召艦の「香取」がビッカース社、僚艦で供奉艦となった戦艦「鹿島」はアームストロング社と、共に英国製だったことも、主目的の訪英に当たり配慮されたかも知れません。両艦に対し、横浜出港、インド洋・スエズ往復帰港の間の21年3月3日から9月3日まで軍艦郵便が適用されました。

このはがきは交換局の「横浜局気付」を肩書きして福井県に宛て、英ポーツマス軍港を21(大正10)年5月9日に発信しています。横浜局には23日後の6月1日に到着しており、非常に効率よい日数と言えます。この時期、ロシア革命後の内戦でシベリア・ルートは途絶していました。恐らく便数の多い北米・太平洋経由で日本に届いたと思われます。

表面左側には「香取」で押したと見られる「軍艦郵便」「検閲済」の朱印があります。軍艦郵便の検閲は極めて異例です。事実、同時期に発信された「鹿島」からの軍艦郵便には検閲印がありません。皇太子の乗艦としての特別措置だったのかも知れません。

通信文面には「横浜出港以来炎地長途の航海も別に御変りなく殊の外両殿下(皇太子と随従の閑院宮)も御機嫌慶くあられ、本日午前ロンドンに向かはせられ候」とあります。長旅前半の山場を越え、ホッとして故郷に報告する御召艦乗員の誇らしげな心境が見えます。
posted by GANさん at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍艦郵便 | 更新情報をチェックする
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