2014年06月09日

敗戦後預入れた軍事貯金

SAVENOTE-2.jpgSAVENOTE-1.jpg中国戦線で使われた軍事郵便貯金通帳です。野戦局でわずか一度の預入があるだけですが、敗戦財政・金融史を物語る、なかなか興味深い使われ方をしています。ネットで落札し、本日到着しました。

預け人(利用者)の所属する「隼魁8354部隊」とは陸軍の航空部隊で、上海南方の杭州に基地を置く独立飛行第54中隊です。敗戦から1ヵ月後の昭和20(1945)年9月14日に第47野戦局(杭州)で4,950円という大金を預け入れています。

敗戦後、復員や引揚によって戦地や植民地から一時に大量の現金の流入が予想されました。大蔵省・日銀の通貨当局が打った手が現金流入の阻止です。内地のインフレは当時数100%台に達しているとみられ、黙過すれば国家財政の破綻は必至だったからです。

政府方針により、復員兵士の現金携行は厳禁されました。兵士らは現地で貯金預入し、通帳で持ち帰るほか方法がありません。大陸の野戦局は敗戦後、事実上の閉鎖状態でしたが、軍事郵便貯金の取扱のためだけに一部を除き45年10月末日まで窓口を開きました。

「旧中国派遣第6方面軍管下野戦郵便の概況」(『続逓信事業史資料拾遺第2集』所載)によると、華中の第6方面軍(漢口)、第13軍(上海)管内では、さらに軍事郵便貯金の預入上限額を次のように定めました。将校5千円以下、下士官3千円以下、兵9百円以下

この通帳の預入額4,950円とは、このような事情を受けての将校の最大限預入可能額だったことが分かります。私物を現地業者に売ったりして得たお金でしょう。しかし、日本軍が華中占領地区で流通させた儲備券は大暴落しており、現地の5千円もそれほどの価値はなかったはずです。

この貯金はさらに、帰郷した三重県の桑名税務署で1946年4月4日に申告して「預金封鎖」手続きを受け、在良局で同日、1千円だけの「軍事制限払」をしてもらうという踏んだり蹴ったりの措置を受けています。敗戦日本はこのような政府による強引な「国民収奪」によって、財政破綻-国家の倒産をからくも回避したのでした。
posted by GANさん at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 為替・貯金 | 更新情報をチェックする
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