2014年06月10日

訪欧大飛行カバーの大疑問

BOURGET.jpg1925(大正14)年に朝日新聞社が行った訪欧飛行に積まれたカバーです。と、簡単に言いきれもしない、多くのナゾを積んだカバーでもあります。

訪欧飛行は日本人飛行士による初の西回りヨーロッパ往復飛行です。フランス製複葉機のブレゲー式19A-2型機の同型2機が採用され、「初風」「東風(こちかぜ)」と命名されました。国民的な熱狂の中で7月25日に東京・代々木練兵場を出発していきます。

両機は平壌、哈爾賓、チタ、チェリヤビンスク、モスクワ、ベルリンを経て9月28日パリに到着しました。さらにロンドン、ブラッセル、ローマを訪問した後、翌26年1月10日に東京に帰着しています。乗員は朝日新聞社員の河内一彦1等飛行士を含む4人でした。

このカバーは田沢10銭を貼り、櫛型印に似せた黒色ゴム印の「訪欧飛行東京出発/25.7.1925/TOKYO OSAKA ASAHI」で抹消されています。フランス北東部のストラスブール局9月26日、パリ北郊のブールジェ空港局9月28日の、それぞれ到着日付印があります。

さらに、カバー左上に発信者の記入と思われる「飛行郵便/封書」のペン字、朝日新聞社の赤色「訪欧大飛行記念」スタンプ、左下にはブールジェ空港の二重角枠日付入りスタンプ、右辺中央部に河内飛行士のサインまであります。

これだけ「役者」がそろっているというのに、なぜか違和感がぬぐえません。これは本当に飛行郵便なのでしょうか。正規の飛行郵便が行われたのなら、逓信省の告示類や郵趣界の対応などがあって然るべきです。が、これらはまったく見られません。

そもそも郵便切手の抹消が通信日付印でなく、朝日新聞社の私印で行われているのがおかしい。GANは昔、朝日新聞社の社史編纂室に潜入したことがあります。しかし、「訪欧飛行に郵便物搭載」を示すような資料はまったく見当たりませんでした。

朝日新聞社は郵便飛行が公認されると考えて搭載郵便物を募った、しかし当局から拒否されたため私印を使って凌いだ、というのが真相ではなかったでしょうか。

郵趣家が一方的な思い込みで初飛行カバーを依頼したとすると、朝日側が郵便印まがいの私印まで作る理由がありません。この櫛型類似印は、この「飛行カバー」にしか見られないのです。ついでに言えば、カバーは10点ほどありますが、貼付切手以外すべて同じで、これ以外の作成者のカバーは現れていません。

「そもそも」はもっとあります。全国民的な支持を受けたこの飛行に、逓信当局が「差出人ノ危険負担ニ於イテ」でも郵便物搭載を認めなかったのは、なぜか。「危険だったから」は理由になりません。もう一人の飛行士・安辺浩陸軍大尉はれっきとした逓信省航空局の現職官吏、航空官だったのです。

園山精助氏は『日本航空郵便物語』(1986年)で、「堅いことをいう必要はない。大飛行の記念品として記録しておけばよい」と記しました。それから30年近く経って、一歩も解明が進んでいないのが残念です。
posted by GANさん at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 飛行・航空郵便 | 更新情報をチェックする
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