2014年06月12日

震災後、仙台-東京の通話

CALL-1.JPG関東大震災のさい東京市内に特設された下谷ニ長町臨時電話所で大正14(1925)年6月10日に使われた電話通話券です。電話所は当時の「有人公衆電話ステーション」でした。

これは通話券の一種の「前納通話券」(右図上)で、裏面が「電話呼出」券(右図下)になっています。利用者が電話官署(電話局、電話所、郵便局電話課など)に通話料金を前CALL-2JPG.JPG納して発行され、通話を求められている相手方に配達されました。

この通話券の場合、次のような順序で利用されたと思います。

 1、通話請求者(仙台の電話加入者)が仙台局に東京・下谷の真山氏との通話を求め、1通話料金90銭を前納する。
 2、仙台局がニ長町電話所に連絡し、前納通話券の発行を依頼する。
 3、ニ長町電話所は通話券を作成して証明日付印を押し、真山氏宅に配達する。
 4、真山氏は即日電話所に行って通話券を示し、請求者との通話を求める。
 5、下谷-仙台間の電話がつながり、1通話(5分以内)の通話が行われる。
 6、電話所は裏面「切手貼付欄」に確認日付印を押し、通話券を保存する。

関東大震災では東京中央電話局をはじめ、市内18分局のうち下谷を含む14分局が被災し、電話網が壊滅してしまいました。東京中央電話局は応急復旧に努める中で、市内34ヵ所に電話所を臨時に開設しました。

電話を持たない被災者、電話を失った加入者の緊急の通信要求に応える措置です。これにより、本格的な電話網の再構築への時間を稼ぐことができました。横浜市内でも同様に10ヵ所の臨時電話所が開設されています。

電話網の復旧が進む中で臨時電話所も段階的に閉鎖されていきます。ニ長町電話所は一番遅く、1926(大正15)年1月19日に廃止されました。下谷区は深川区と並んで被災地の中でも最も被害が大きく、復興が遅れたためでしょう。

この通話券は当局がどのように電話の復旧に努めたか、非加入者との市外通話が実際にはどのように行われたかを示しています。小さな紙切れですが、大混乱期の通信事情を示す情報がいっぱいに詰まった資料だと思います。
posted by GANさん at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 関東大震災 | 更新情報をチェックする
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