2014年06月14日

旅順の軍艦が野戦局利用

TSUKUSHI-1.jpgTSUKUSHI-2.jpg日清戦争で軍艦「筑紫」が日本軍占領地の旅順口から出した無料軍事郵便の書状です。

「筑紫」は元々はチリ海軍がイギリスに発注して建造した小型砲艦ARTURO PLAT(1,300㌧)でした。竣工直後の1883(明治16)年に日本政府が買収して日本の軍艦となり、後に砲艦に類別されました。

日清戦争で「筑紫」は常備艦隊附属艦となりました。大連湾、旅順口、威海衛の各攻略戦に参加しています。

この書状は明治28(1895)年5月14日に第2軍第4野戦局で引き受けられています。第4野戦局は1894年11月に旅順口に開設され、95年12月に廃止されるまで移動しませんでした。

海軍の艦船乗組員が陸軍の野戦局を利用したケースですが、この時代では特別な例でもありません。陸海軍はまだ昭和期のようには対立していませんでした。また、海軍が独自で郵便所を開設するのは、日露戦争以後のことです。

この時期は、日清講和条約締結とそれに続く三国干渉も一段落した、つかの間の平和期間でした。直後に、講和条約で清国から日本に割譲された台湾の住民が台湾民主国を立てて日本に反乱します。復員直前だった部隊を送り込んで平定作戦が開始され、海軍も巻き込まれていきます。

「筑紫」はその後、北清事変や日露戦争でも活躍しますが、1911(明治44)年に廃船となりました。
posted by GANさん at 15:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事郵便(海軍) | 更新情報をチェックする
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